もやの中ひかりて落ちるいくすじの分れて再また会う光いくすじ

中村幸一『あふれるひかり』(2016年・北冬舎)

 

どのような場所か分らないが、たちこめる靄から漏れてくる光の動きが歌われている。あえて背景を描かず、光の動きだけを歌って、抽象画を見ているような気分になる。崇徳院の<瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ>をちょっと連想した。

 

主題は、「分れて再た会う」。言われてみれば、人生は不可思議な邂逅の連続だなあと思えてくる。この世では、あらゆる事物が出会ったり分かれたりの繰返しであるということまでも思わせる。歌集には【流れゆく川のきらめき木の間より見えずも聞こゆその川の音】【流れゆく水のながれに光あり行く末見えぬことのうれしさ】などがあって、いわゆる無常観が基底に流れているが、厭世的ではなく、明るく温かく肯定的。

 

珈琲が蒸気へ通される刹那、下手したてにでればいいのよ、という声

分析をやめて感じるままに生きこころの声を聞けと言われし

両脚を交互に動かし歩みゆくひとびと見れば秋深まりぬ

 

作者は、「あとがき」に「歌に対する心的態度が変わってきており、昨今は『エゴ』を外すのが目標となってきている。エゴとは作為、計算、論理、真面目である」と記している。「エゴ」を外したとき、短歌定型が強い力をもち、おのずから滑らかな調べが生じる。街行く人々が「両脚を交互に動かし歩む」のは当たり前のことであるが、そのような当たり前を、「エゴ」を外すことによって再認識するとき、それは、当たり前のことではないのである。