光森裕樹


香りさえ想像されることはなくりんごはxみかんはyに

伴風花『イチゴフェア』(風媒社:2004年)


 

数学の問題を解いている場面だろう。問題文にかかれた「りんご」を「x」に、「みかん」を「y」に置き換えて方程式を立てる。「りんご」も「みかん」も便宜上のものであって、数学の問題になるのであればなんでもいい存在である。より速く、より正確に解かれるために、その香りさえ想像されることはない。
 

作者は、ふと問題を解く手をとめて「りんご」や「みかん」の香りを想像してみたのかもしれない。こんなところで止まってしまっていては…などと思いつつ、勉強とは一体なんであろうかと考えてみたのかもしれない。「りんご」が「x」に、「みかん」が「y」に変わるときに抜け落ちてしまう「香り」こそが、人生において大切ではないのか、と。
 

母と子は諍ひてまた解き始むゆきて帰らぬ旅人算を  今野寿美『め・じ・か』
なにゆゑかひとりで池を五周する人あり算数の入試問題に  大松達知『スクールナイト』

 

算数の問題に関する歌を引いてみた。
 

一首目は、子どもの算数の宿題を手伝っている場面だろうか。ある速度で進む二者の出会う時刻や速度を求める「旅人算」という名称には、どこか温かみがある。しかし、それであっても「旅」というのは便宜上の名称であり、「旅人」は進みゆくばかりで帰ることはない。
 

二首目も、時刻や速度を求める問題であろう。問題の便宜上設けられた池に、便宜上の人がいて便宜上五回も池を回る。この〈便宜上〉という〈お約束〉をあらためて見つめているのである。
 

数学や算数の問題文というのは考えてみると面白いものだ。小学校のころには「〜全部で何個でしょうか。」と優しかった問題文の口調が、いつのまにか高校生になると「〜個数を求めよ。」という命令口調に変わるのは何故なのか。
 

問題文とは、どこか国語と数学(算数)とが混ざり合う汽水域のような感じがする。そんなところが、歌人の歌ごころをくすぐるのかもしれない。