今井 恵子


くちびるは言葉をさぐるふりそそぐ秋の光の触さはれないもの

尾崎まゆみ『綺麗な指』(2013年・砂子屋書房)

 

人間の内側に言葉が生まれる瞬間を、するどくつかんだ一首。初句と二句で行為を描き、下句では場を連想させて、「言葉」が誕生するときの感じを、身体と外界が接触するイメージで伝える。「くちびる」は身体、「光」は外界と考えてよいかと思う。秋の光のひんやりと澄んだ感じと、体温をもつ「くちびる」の対照もきわやかだ。

 

「くちびる」や「光」は、短歌作品ではよく見かける語彙ながら、一首が印象に残るのは「触れないもの」という認識にあるだろう。「触れないもの」は観念であるけれども、意味が、読者の身体的感覚をよびさます。どこか官能的でもある。【秋の空あきかぜ秋のあの時のひかりを入れるうつはとは歌】も同じ小題の中にあり、「歌」と「言葉」が使い分けられているのも面白い。作者の歌論である。

 

腕のやうな枝に膨らむ紅梅の血のつぶつぶが破れてしまふ

七月の雨をからだにれるから紫陽花の藍色は濃くなる

ラヴァーズ・コンチェルトから伸びてくるゆふぐれの白い腕と踊らう

 

他にこのような歌もある。「腕」「からだ」と言っているからという以上に、また擬人法で出来ているからというだけではなく、作者に短歌を作らせる基になっているものが身体的感覚だということが分かる。身体の内側にある感覚を研ぎ澄まして「言葉」をつかみ、それが「歌」となる。この順番であり、逆の発想でないところが大事。感覚が認識になるときの、ときめきのようなものがある。