厨辺くりやべの大き水かめ厚氷あつごほり柄杓ひしやくもて割る水くむ穴あなを

生方たつゑ『山花集』(1935年・むらさき出版部)

 

かつて家内を預かる女の仕事は、掃除・洗濯・育児のみならず、舅姑へのご機嫌伺い、使用人への指図、近所とのお付き合いや、地域社会への気遣いと際限ないもので、それら一切を含んで家事と呼んだ。女が、自分自身でいられるのは、家人が寝静まった後のほんのしばらくだったろう。切れ切れに見出す僅かな時間に、一首の歌をまとめることは、自己の生を確かめるための切実で濃厚な営為であった。

 

台所に立つ女の視線で事象を掬い上げる写実の歌を指して、厨歌といった。「厨」は、種々の機能をそなえた家電製品がならぶ今日のキッチンからは想像しにくい。暗さや重さや湿り気を持っていた。厨歌は、そうした身辺の小さな素材を拾い上げる手法として、おもに写実派によって推進された。限られた素材のゆえに、とるに足りない些末事だと批判されもするが、家事に従事するどれほど多くの女性たちの心に、潤いをもたらしたことかと思う。

 

この作者は、温暖な伊勢に生れ、東京で学識を積み、山間の地である沼田の旧家に嫁した。後年、写実を脱して、抽象的な歌風を確立したが、掲出の歌のように手堅い初期の写実の歌も捨てがたい。汲み置いた水を掬うために厚く張った氷を割る。厨ごとは力業である。「水くむ穴を」に、綺麗ごとでは済まない現実がある。。

 

あしたにはみし干物雫ほしものしずくしてかげろふゆらぐひるちかみかも

みゆけばくず堆葉うづはのじとじとにふふみもてりし水吐きにけり

谷ふかみぬれをつたふむらさきのあけびは白き口あけにけり