島檸檬島唐辛子島豆腐そうなんだよな島なんだよな

池田行謙『たどり着けない地平線』(青磁社:2016年)


 

歌集における第十二番目の章「ネムリブカ」の一首。同じ章には次の歌が並ぶ。
 

越してきて五日目の夜小笠原二号という名の南瓜を煮込む
もう雨季も終わってしまい雨のない六月のジョンビーチを走る

 

仕事のためだろうか、どうやら小笠原諸島の父島に住むことになったようだ。見るもの食べるもの、体験することのひとつずつを楽しむ様子がうかがえる。
 

島檸檬や島唐辛子などの島特有の食べ物につけられた「島」という呼称に、あらためて自身が今いるのが島であることを確認している。「そうなんだよな島なんだよな」という「だよな」の繰り返しに実感がこもる。
 

小笠原諸島にかぎらず、島特有のもの「島〜」と呼ぶことは多くの島でなされていることのようだ。その点に、島のあり方の一端が表れているように思う。つまり、遠く離れた島同士が直接的な接点を持つことは稀であり、それゆえ例えば父島の「島豆腐」と石垣島の「島豆腐」は同じ名称でもなんの混乱も生じない。
 

また、本土の豆腐にはなんの接頭辞もつけられず、〈島側〉にはつく点も面白い。島文化への意識を感じさせる一方で、本土の豆腐のほうが日本全体では〈普通〉であるという現実的な状況も示しているようだ。
 

少しずつ島民になる固有種の俗称を覚えてゆきながら

 

島特有のものの名称を覚えつつ、島での暮らしに身を浸してゆく。「島民」という言い方にも島檸檬・島唐辛子・島豆腐などの言い方に通じるものがあるだろうか。