今野寿美『さくらのゆゑ』(2014年・砂子屋書房)
名は体を表すという。草生は草の生えているところ。たぶん作者の会った草生さんは、外連味のない野原のような人だったのだろう。名前のイメージと人の印象を結びつけるところに作者独自の感覚がはたらいている。早速、辞書にあたってみるところもさすがだ。
集中に【赤でなく紅でなければならぬこと 一生かける人、かけぬ人】ともある。「赤」と「紅」の違いに拘る人は珍しくはないが、それに一生かけるかと問われると、わたしなどは、ふーむと考える。どちらかと言えば「かけぬ人」だ。作者はもちろん前者、気のすむまで追求する。
引用の歌は何回か読み直すと、会う対象が人でありながら、読後に残る印象は、「草生」から呼び起こされた明るい野原のイメージである。言葉の音の響きや調子への細やかな心配りによるのだろう。言葉を大切に扱う。響きへの敏感な反応は格別である。
ほとりなる無念夢想の一
桐の花咲きあらたまり政治家はしつかり、しつかり、しつかりばかり
みなづきはなべてうつすりつつまれて雨、雨、雨だれ青木雨彦
短歌の調子と相まって、イメージがイメージを呼ぶ。ぜひとも声に出して読みたい歌である。『さくらのゆゑ』は、社会や政治に関わる内容、近代短歌史に関わる知識も豊富に抱え込んでいるが、いずれも短歌定型の滑らかな調子に回収し、言葉への凛とした姿勢を貫いている。