凍み豆腐干し柿大根 東北の手仕事に降る雪のつぶてが

梶原さい子『リアス/椿』(2014年・砂子屋書房)

 

昨日12月15日の「天声人語」は鈴木牧之の『北越雪譜』を紹介していた。『北越雪譜』は、北越の豪雪地と江戸の生活が大きく違うことを知ってもらおうと、故郷の暮しぶりを詳述した、江戸時代の豪商のエッセイである。今日ではテレビやインターネットのレポートで簡単に現地の様子を見ることができる。しかし、なかなか実感をともなわないものだ。

 

『リアス/椿』の作者の実家は気仙沼の神社。2011年の津波で被災した。それから3年後に刊行された歌集である。震災の歌は多く詠まれたが、『リアス/椿』は記憶にのこる一冊であった。経験していなければ歌えない諸々が詰まっている。震災をはさんで、「以前」と「以後」の歌を比較対照させた構成である。「以後」の歌は、小題に1月から12月の月が掲げられ、現地の様子が時間を追って変わってゆく、あるいは変わらないでいる様子を記録する。冷静な目がとらえた、短歌ならではの貴重な記録と思う。

 

掲出の歌は、【あまたなる死を見しひとと見ざりしひとと時の経つほど引き裂かれてゆく】【震災詠はもういいぢやない 座布団の薄きの上に言はれてをりぬ】などを含む一連「まなこ―十二月」の中にある。同じ「凍み豆腐干し柿大根」が、震災の「以後」では風土に生きる人々の、かけがえのない日常を思わせる。「雪のつぶて」には、『北越雪譜』とは違った、雪の苛酷さがある。

 

湯の内を浮き上がり来るまろき玉どの瞬間にひとは逝きしか

雑食の蛸であるゆゑ太すぎる今年の足を皆畏れたり

こぼたれしままの岸壁ひとの耳に届かざるに水打ちつづく