今井 恵子


言擧げを吾はせねどもうら深く國を憂ふる者の一人ぞ

半田良平『幸木』(1948年・沃野社)

 

過日12月17日、栃木県鹿沼市で、「半田良平130年記念のつどい」が催された。半田良平の育った土地を一度は訪れてみたいと思っていたので出かけた。よく晴れて、遠く日光の山なみを望む静かな農村地帯が広がっていた。寒い一日だったが、それでも宇都宮よりは幾分か気候が穏やかで、住む人の気質にもあらわれていると、タクシーの運転手は話してくれた。これをただちに、作品世界の広さ、奥の深さと結びつけるのは、如何にも短絡だと思いながらも、どことなく納得するところがあった。

 

1887年、鹿沼で生まれた良平は、学問を志して東京に出た。美学という学問と結びながら窪田空穂の門下で、文学としての短歌を探求し、研究・評論・作歌と旺盛な活動を続けた。しかし、戦争の時代に、子息3人を失い、自らも病魔に斃れるという不幸にみまわれ、終戦の3カ月前の5月19日に58歳の生涯を閉じた。本歌集は戦後すぐに刊行されたものである。

 

掲出の歌は、絶命の前に歌われた2首の内の一首。巻末に収録。空襲に怯えつつ、言論が封じられながら良心を捨てず、言葉を選んで国の行く末を案じている。戦争末期の知識人の苦悩がにじんでいる。この後に【一夜寝ば明日は明日とて新しき日の照るらむを何か嘆かむ】がある。『幸木』の序文で、窪田空穂は、向上心の強さと視野の広さが実際生活と結びつき自身と時代との関係を的確に掴もうとする心があると、指摘している。昨今の不安定化する世界状況を、また日本の政治的動向を見るとき、わたしたちに強く訴え、表現の在り方を問いかけてくる歌集だ。

 

口頭試問してゐる吾の據りどころ崩るるごとき瞬間があり

死にし子は病み臥してより草花をいたくでにきと妻のいふかも

軍神ぐんしんの母のひとりがとし老いてよるはさすがにさみしといひき

 

人間の心の内側を深く見つめて、甘くならずに温かい。