ここしかない、そういう風でなくていい 春の柳が風にふくらむ

中津昌子『むかれなかった林檎のために』(砂子屋書房:2015年)


 

春の柳が風に膨らむさまを見ている。それはまるで風が柳と戯れているようであり、見ていてなんだか楽しい気持ちにもなる。風にもいろいろな吹き方があるが、ここに吹くしかないというような厳しさを感じさせるものではなく、きままなものがいい――
 

はじめてこの歌を読むとき、二句目まで差し掛かって「そういう風でなくていい」の読みに一瞬迷った。「そういう(ふう)」なのか「そういう(かぜ)」なのか。一首を読み終えたあとでは、後者なのだろうと分かる。
 

しかし、「そういう(ふう)」と読んでも歌が深いところで意味するところは大きくは変わらないだろう。「ここしかない」というような生き方は選びたくない、ということを一首は伝えようとしている。
 

「〜なくていい」という表現に近いものが用いられた一首が、同じ歌集にあった。
 

つよい国でなくてもいいと思うのだ 冬のひかりが八つ手を照らす  「八つ手」

 

この歌の前には次の二首が並ぶ。
 

それが戦争に負けたということだったのだと父は言いたり箸をとめずに
王国のままでありたる誇らかな沖縄思えば桔梗がなびく

 

「つよい国でなくてもいい」というのは、この連作では、やはり日本についてのことを言うのだろう。
 

この一年の世界の出来事を振り返るとき、どうしてもこの歌の前に立ち止まってしまう。