本多真弓『猫は踏まずに』(2017年。六花書林)
【わたくしはけふも会社へまゐります一匹たりとも猫は踏まずに】が巻頭歌。歌集名になっている。作者は会社員であると宣言しているのである。それを前提に掲出の歌が出てくる。【ですよねと電話相手を肯定しわたしを消してゆく会社員】というのもある。
会社で残業をしている。夕食は近くのコンビニ弁当か。「いろいろ」といっているから、スナック菓子や飲み物なども買い込んで来たのだろう。今夜は遅くなる予感がするのだ。みんなプラスチック容器に入っている。容器は食べない。当たり前だ。けれども「プラスチック以外」を食べていると感じるのは、当たり前ではない。家にいれば陶器の皿や漆器の椀で食事をするのだが、皿や椀以外のものを食べたとは、ふつう思わない。LEDの白い照明の下で、ステンレスの事務机に向っての残業(そんなことは書かれていないが)が、にわかに非人間的なものに感じられる。
生きてゐて明日も働く前提で引継ぎはせずみな帰りゆく
待つことも待たるることもなき春は水族館にみづを見にゆく
明日も生きてここで今日と同じように仕事をするという当たり前のことを、ちょっと疑ってみる。そうすると、わたしたちの日々の安定は、何の確証もない思い込みの上に保たれているのだと気づく。おそろしい不安定を見ないことにしている。水族館には魚を見に行くのがふつうだろう。水なら水族館以外のところにいくらでもあるのだから。しかし、作者は水を見に水族館へ出向く。
「プラスチック以外」を食べ、「引継ぎ」はせず、「水族館へみづを見にゆく」のは、当たり前のことだが、危うい現代社会を裏側から透かして見ているようで背筋が寒くなる。