もみの木はきれいな棺になるということ 電飾を君と見に行く

大森静佳『てのひらを燃やす』(KADOKAWA:2013年)


 

クリスマスの雰囲気がただよう街なかに、イルミネーションを見に行く。一年の終わりが近いことも手伝って浮足立ったような人々に紛れ、光のきらめきを君と見つめる。 
 

その光景自体は、はなやかな恋愛の歌である。けれども、一首にはクリスマスツリーとして馴染み深いもみの木が、実は優れた棺材として使われているということも書かれている。つまり、親しい君と素敵な時間を過ごす(過ごそうとする)一方、しかし人生には限りがあるということが一首において強く意識されている。
 

人生のなかで、もっとも近づけてはならないような「恋愛」と「死」。それが歌のなかに封じこめられることで共鳴し、一首にしずかでとても清らかな読後感をもたらす。
 

きっと、「棺になるということ」を、〈私〉は〈君〉に伝えはしなかったのではないだろうか。一字分の空白が、やさしい沈黙を感じさせる。
 

掲出歌に呼応したと思われる歌が、土岐友浩にある。
 

ひとすじの光をまとうはんの木はかつて棺を燃やすための木  土岐友浩『Bootleg』

 

はんの木が「ひとすじの光をまとう」とは、なんらかの電飾が施されていることを指していると読んだ。棺となるもみの木と、薪材としてのはんの木――ともに寄り添いつつ燃えていくさまが美しく、そしてやはりしずかでとても清らかである。