光森裕樹


東京を捨ててIT捨てざりき言の葉しるき光森裕樹

坂井修一「南波照間」(角川「短歌」2013年10月号)


 

早いもので、本連載も今回を合わせて残すところ二回となった。自分の歌を引くことはさすがにできないが、自分についての歌を引く変化球のような回が一度くらいあってもいいだろう。
掲出歌は、私が東京から沖縄の石垣島に居を移したのちに詠まれたものである。インターネットがあればどこでも生きてゆけると思っていること、もっと言えば、そうであることこそがインターネットの意味ではないか――そのようなことを、引っ越し前後のどこかの場で坂井修一に話した(ような記憶がある)。
おそらくは、次の一首が下敷きにあったのかもしれない。

棄てかたと去りかたのみが吾をわれたらしむるもの夏鳥を追ふ  光森裕樹『うづまき管だより』(2012年)

 

なにをどう棄てるか、あるいはなにをどう残すのかに、その人らしさが出る――その考え方は今でも変わらないように思う。
情報科学を牽引する科学者でもある坂井修一の前で、なんとも夢見がちな発言をしたことにいまさら変な汗をかいてしまうが、若さというものを言い訳にできるほどには年を重ねた、ということだ。
掲出歌には次の歌につづく。

こともなく世はうつろへど烈日よ若き友らを虐ぐるなよ

 

「若き友」の一人に含めていただけたことを、また東京を去ることへのエールを送っていただけたことと、今もとてもありがたく思うのである。
私自身の名前が出てきて驚いた歌に、次のものもあった。

短歌のため職を辞すとふ娘の上司誰かと問へば光森裕樹  黒瀬圭子「塔」2013年6月号

 

長らく勤めた会社を退職するに際して、お世話になった方々の前で行った挨拶がもとになっているように思われる。東京を離れる半年ほど前の出来事だろうか。さて、「短歌のため職を辞す」とまで言ったのかは定かではないが、そのように伝わるような言い方をしたのだろう。自身の記憶に無いことが、他者の歌からまるで思い起こされるかのように記憶に変わっていく。それは、とても不思議でなんだかくすぐったくもある。
さて、歌人名が入った歌が在る。当然のように在るのである。

石川美南(いしかわさん)が先頭にいる集団のしんがりとして二次会へ行く  牧野芝草『整流』
加藤治郎坂井修一あたま白く動かす口語と文語の陣地  米川千嘉子『吹雪の水族館』
もうひとり産んどきなさいとそんなこと河野裕子でなければ言はず  今野寿美『龍笛』
笑ひ顔と真顔大いなる落差あり岡井隆がテレビに映る  花山多佳子『空合』
「メイプルリーフ金貨を噛んでみたいの」と井辻朱美は瞳を閉じて  穂村弘 『シンジケート』
職業は主婦と答へて品のよきほほゑみ栗木京子は残す  今野寿美『世紀末の桃』
学者歌人それもよけれど幸綱氏大食漢としてまづ印象す  河野裕子『はやりを』
葱の根の干からびたような髪をして永田和宏徘徊をせり  花山周子『屋上の人屋上の鳥』
眼鏡わずか下にずらせて人を見る高野公彦ますます頑固  永田和宏『華氏』

 

一首目は勉強会後の二次会への誘導だろうか。ふらふらとした歌人たちを颯爽と牽く石川美南の姿が目に浮かぶ。「ライト・ヴァース」と「ヘヴィ・ヴァース」それぞれを起点として作歌を続けてきた加藤治郎・坂井修一両氏の髪にも、今や白いものが目立つ。ずどんと直球で話す河野裕子にも、柔和な笑顔と真剣な顔のどちらも印象深い岡井隆――どの歌にも、その歌人らしさが感じられる。もっと言えば、歌に登場する歌人の様子が、まるで見てきたかのように記憶に変わっていく。
――そう、疑いもなく。
短歌における〈私性〉の議論は止むことはない。ここでは細かく触れないが、多くの議論は作者と読者とを結ぶ数直線上のどこかに視点をおいた議論になるように思う。もっともなことだと思う。
その一方で、歌人が歌人を詠んだり語ったりすることから立ち上がり、補強される歌人像(ないしは、その人物の〈私像〉)もある。
〈私性〉と歌人像はイコールの関係にはあるものではないので、簡単に議論できるものではない。ただ、いずれにせよ短歌というものがある種の人間関係の上に立脚することがあり、ときに共犯的に有機的に絡み合うものであることは確かなことだろう。