五十年まったき闇を知らざりき停電の夜も眠れるときも

今井恵子『渇水期』(砂子屋書房:2005年)


 

掲出歌は、沖縄の「ガマ(自然壕)」のひとつを訪れた際の連作「沖縄アブチラガマにて」の一首である。同じ連作より、いくつか歌を引いておきたい。
 

振り向けばわが立つ位置もなきごとし闇は光のあらざるをいう
水滴の落ちる範囲に空洞のあるらし何を踏んでいるのか
空気穴あるとし聞けば仰ぎたり涙つめたし感情を越ゆ
恐怖とは何をいうのかわからなくなりたるころに出口のひかり

 

真っ暗なガマのなかで、自らがどこに立っているかも分からない。足元には地面があるとして、ほんとうに地面を直接踏んでいるのだろうか。そこで亡くなった人々の遺物や遺骨、あるいは時間を超えて遺体そのものを踏んでいるのかもしれない、という想像に襲われる。知っていたと思ってきた「恐怖」というものが「何をいうのかわからなくな」る。
 

そして掲出歌では、実はこの五十年間、ほんとうの闇を知らなかったということを知る。
 

このように、連作「沖縄アブチラガマにて」は、事物としては戦争にまつわることが詠まれているのだが、本質としては、〈知る〉ということや〈分かる〉が一体どういうことかを強く問うているのではないだろうか。
 

何事も一般化することには危うさが伴うが、短歌はその短さ故に、新しい見方による発見や・事物に対する解釈を言い切るときに強く響く。「そんな見方があったのか」「なるほどそうだったのか」――そんな歌にであったときに、思わず膝を打つ。まるでそこに、「いいね!」ボタンがあるかのように。
 

物事を簡単に調べることができ、知ることができ、あらかじめ知っていたかのように振る舞える。たった今思ったことを、なんだかそれが素敵なものように見えるほとんど手間のない方法で一方的に発信することができる。それに対する反応が、数値や具体的なかたちで目に見え、誰かの発信と比較することができる。そんな時代である。
 

〈知る〉ということはなんなのか。〈分かる〉ということはなんなのか。私は、私が何かを知らないということを、分かっていないということを、しんじつ実感できているのか。
 

150回以上に及ぶ一首評を一年間なんとか続けつつ、いつも苦しいことがあった。それは、一首を引けば〈何かを書かなければならない〉ということだ。評であるので当然のことではある。しかし、何かを書くという行為は、〈あなた〉が何かを知らない人であり、自身がそれを知っていることを前提とする。その痴がましさや、それこそ〈なんにも分かってなさ〉が苦しかった。
 

今、手探りような一年を続け、苦しさを忘れなかったことを嬉しく思うのである。
 


 

至らぬ点も多くあったかと思われますが、一年間お読みくださり誠にありがとうございました。
 

それではまたいつか。どこかで。
 
 

(〆 光森連載分おわり )