十二月二十八日午後二時のひかりのなかに二つの林檎

今井恵子『渇水期』(2005年・砂子屋書房)

 

文章を書くにあたって自分の歌を引くのは面はゆいけれども、一年間つづけた作業の終止符のつもりで自作を置くことにした。ではまた、というご挨拶である。

 

これは、『渇水期』の巻末に置いた歌である。山村暮鳥の「林檎が一つ日あたりにころがつてゐる」が意識に残っていたかもしれない。何も特別なことのない年末の一齣をすくいあげたつもりだった。周囲に、どうしてこんな歌を作るのかまったく理解できないという声があった。別の声が、「二」の語呂合わせじゃないの?と擁護してくれたが、それだけでもないと思ったものだ。

 

長く、「無内容の歌」という語が、頭の中を往き来していた。どこで覚えたのか忘れていたが、先日、篠弘著『残すべき歌論』を繰っていると、山本健吉が、意味が重くなり過ぎた歌に対して、『短歌 その器を充たすもの』を書いて短歌無内容論を唱えたとあった。わたしが作歌を始めたころに出た本である。読んでもさっぱり理解できず、早々に放り出したと記憶する。それでも、若い時の経験は、無意識の中のどこかに残っていて、ときどき顔をだすのだろう。今や歌の系譜などはなくなったという人もいるが、わたしはそれには反対である。いつ何処で産湯をつかったかは、なかなか重要事である。

 

海に向き一つの椅子が置かれあり断崖の上なれば誰も座らず

航跡の消えるまでねと言いながらまだここにいる風に吹かれて

一年間、手を伸ばしたところにあった歌を契機に、気儘に折々の小感を呟いてきた。心惹かれる歌にたくさん出会った。読んでいると、どのような歌も、一首一首に、歌われる必然性があることが分ってくる。日本人に短歌形式があってほんとうによかった。