まだ知らぬ界にしあればいかやうに死を惟ふとも挽歌つたなし

蒔田さくら子『標のゆりの樹』(砂子屋書房、2014年)

 


 

死は、自分にとってまだ知らない領域のものだから、どのように死について考えてみてもそれを十分に理解することはできず、だから、人の死を悼む挽歌は、つたなく、結局不十分なものになってしまう。(*「界にし」の「し」は助詞で、その上の語を強める働きをもつ。「惟ふ」は「おもふ」。)

 

「まだ知らぬ」の「まだ」には、自分もいつか死ぬのだが、という含みがある。
注目すべきは「いかやうに」であると思う。視点を変えながらどんなに理解しようと努めてみても、結局は理解できない。なんとか死者とその思いに接近しようとしても、自分が生者である以上、その接近は生者にとってのものであり、結局それがわからない。その「わからない」に至るまでに重ねた思考の厚みが「いかやうに」という語にあらわれていると思うのだ。

 

自分もいつか死ぬと言っても、挽歌を詠むことができるのは、言葉を発することができるのは、この世において生者だけだ。その生者はついに、生者であるというそのことによって、死を理解することができない。だから満足のいくような挽歌を詠むことができない、というのである。

 

歌集には次のような一首もある。

 

・見るべきもの見つくししなどといつ言はむ在る世はかくも朦朧として

 

見るべきものは見つくしたなどといったいいつ言おうか。自分が今いるこの世はこんなにも朦朧と、ぼんやりとしているのだ。

 

生者として生きるこの世のことであっても、ぼんやりと、わからないことだらけなのだ。だとしたら、挽歌に限らず、自分たちが何をどう思っても、理解しようとしても、どんな場合もそれは不十分なものにしかならないではないか。

 

死に対する上の歌のような考え方は、決してめずらしいものではない。むしろよくある考え方とも言える。けれども、わからないとしながら「いかやうに」と言うほどまで考えつづけ、その上それを「つたなし」と言い切るこの歌に、僕は何度も立ち止まる。「つたなし」「朦朧と」と言ってはいるけれど、「つたなし」「朦朧と」と判断してそれをこのように歌にすること自体に、長い思考の跡を感じる。そしてそののちの、悔しさとも諦めともつかない、噛みしめるような思いを想像する。

 

上の歌の、ところどころにあらわれるシの音、これを僕はあえて「死」と重ねたりはしないけれども(それはなんだか、音と意味とを無理に重ねすぎている感じがする)、その、ほんの少しのかすり傷を残すかのような音が、長く胸に響いてしまうのである。

 

蒔田さんのこの歌集が好きで、折に触れて読み返す。選びきれないが、何首か以下に挙げておこうと思う。

 

・いづくかの長廊下を拭く夢さめぬかたく雑巾絞りゐたりき
・辛きことおもひだすとき想ひ出に添ひてひつそり顕つ花のある
・鐘楼にのぼりて時を撞く人の渾身朝の峡を統(す)べゆく
・地に塩を撒きゆくごとくはららきし雪はしだいに競(きほ)ひはじめぬ

※( )内はルビ
*「さめぬ」→「さめた」
*「絞りゐたりき」→「絞っていた」
*「はららきし(散きし)」→「ばらばらと散っていた」
*「はじめぬ」→「はじめた」