海に山に行きたけれども行けざれば裏のグラウンドで夕陽をながむ

岩田正「わが夕べ」(角川「短歌」2013年1月号)

 


 

「わが夕べ」は10首の連作。岩田正は昨年11月に93歳で亡くなった。

 

独立した一首の内容に作者自身の情報をどこまで反映させてよいのか、難しいところではあるが、ここでは、岩田のその他の歌などを参照して、海や山に行けない理由は身体的な衰えにあったと、まず説明しておく。

 

海に山に行きたい。海を眺めたい。山を歩きたい。あるいは、泳ぎ、日焼けし、汗を拭い、深呼吸をしたい。けれどもそれができない。だからその代わりに、裏のグラウンドで夕陽を眺めるのだという。

 

グラウンド、そしてそこに夕陽が射しているとなれば、子どもたちの遊びや生徒の部活動の様子なども想像できる。もちろん、校庭とは言っていないわけだから、そういった想像にこだわる必要はまったくないのだが、「裏のグラウンドで夕陽を」というところには、どこか青春性やノスタルジーのようなものが滲んでいると思う。

 

海や山へ行く代わりに、そのような夕陽を眺めて、思い出にあたたまろうというのだろうか。海や山に射すはずの夕陽を、グラウンドで想像しようというのだろうか。

 

それにしてもこの「裏のグラウンド」と「夕陽」、なんという存在感だろう。海や山のほうが空間としてずっと大きいし、失われてしまった若さに思いを馳せながら「行きたい」とつよく思っているはずなのに、その海や山よりも、衰えたからこそ提示されたこのグラウンドとそこに射し込む夕陽のほうが、よほど印象的で、胸に迫る。海や山よりずっと魅力的に映る。

 

上の句の「海に/山に」「行きたけれども/行けざれば」というそれぞれの対比、そしてその対比構造とリズミカルな語の流れからは解き放たれてじっくりと、のびやかにひろがりをもって述べられる下の句。それによって「裏のグラウンド」はひろびろとし、青春性やノスタルジーをゆったりと喚起し、夕陽をなみなみと湛える。それとともに、夕陽をじっと見つめる時間とそのときの心情が厚みをもつ。

 

初句の海と山とが、どこの海どこの山といった具体的なものでなく、ほぼ概念として、遠く抽象的に提示されていることも、それとの対比で、このグラウンドの印象をより手触りのあるものにしていると思う。

 

連作「わが夕べ」では、この歌のすぐあとに、次の歌が並んでいる。

 

・杖つきてあたりをながむ帰りきて杖置きそしておのれをながむ

 

併せて読むとき、二首の「ながむ」が読者に伝える心情は、それぞれさらに厚みを増すと思う。

 

老いを自覚しながら眺める周囲の様子はどのようなものだったろう。杖を置いて、何にもよりかからずに眺める自らの姿はどのようなものだったろう。そして、過去へのなつかしさ、現在におけるあきらめ、あこがれ、さびしさ、あるいはもしかしたら、勇気や希望等々といった心情・思いが、夕陽の色をより濃くするようにしてこちらに重たく手渡される。

 

そうなのだ。海や山へ行く代わりに夕陽を眺める、というけれども、海や山へ行くような明るさや楽しさはもちろん見当たらず、夕陽を眺める眼差しはそのまま、自らを見つめる眼差しとしてあらわれているのだ。自らの衰えをつねに意識しながら、過去を、現在を、あるいは未来を見つめる眼差し。「ながむ」という終止形での言い切りは、歌の句の切れ目を伴って凛とし、感傷に流れない。自らをとりまくものから、目を逸らしていない。

 


 

先日のこの欄で平岡さんが「ちょっと長くなりすぎたね」なんて言っていたけれど、どうしても長くなりますよね、短歌の内側に感じたものを説明しつくそうとすると。けれども今回の歌については特に、書きながら、鑑賞の言葉を重ねるのがとても野暮なことのように思えてきた。五七五七七に乗ったシンプルな言葉に、自分の言葉が追いついていない気がする。

いずれにせよ僕ももうちょっと短く書いていこうと思います。長いとあんまり読みやすくないし、そもそも自分が息切れしてしまう……。