平岡直子


晴らす(harass) この世のあをぞらは汝が領にてわたしは払ひのけらるる雲

川野芽生「Lilith」(本阿弥書店「歌壇」2018年2月号)
※( )内はルビ


 

短歌において単語やフレーズに無理めなルビを振ることで二重の意味を負わせるのは禁じ手です(今わたしが決めました)。多くの場合において視覚的な意味は二重にできても音韻は二重にできない片手落ち、それから、けっきょくその部分の意味が表と裏にのみ固定されてしまうので、言葉の可動域がむしろ小さくなることが主な理由。あと、インターネットには引用しにくいという単純な理由によって少なくともこの欄ではそういったルビのある歌は取り上げたくないと思っていたのだけど、掲出歌の初句は、なんかすごいな、と納得してしまった。

 

「harass」とルビを振られた「晴らす」には当然ふたつの意味が託されている。ひとつには一首のまとめのような役割。青空から雲が払いのけられる様子を「晴らす」という短い動詞で言い捨てるような乱暴さは、その所業の暴力性を強調しているようでもある。もうひとつの「harass」は、歌の主題がハラスメントにあることの解説として機能している。出会い頭にあらすじと主題をひとことで説明してくれるような初句はなかなか珍しい。歌を両面からはさむように懇切丁寧な、そして窮屈なルビといえる。

 

しかし、そのふたつの役割に絞り込むにはこの初句にはノイズがある。晴らす/ harassが言い換えられた同じものを指しているとしたら、どちらにしても動作の主体は「汝」側になるけれど、この「晴らす」は、「わたし」の側の発話であるという可能性が捨てきれない。それはたとえば主語を持たない動詞にはとりあえず「わたし」を補完するという短歌の慣性が連れてくるものでもあるし、「晴らす」という動詞の性格もある。この歌では直後に青空が出現することにミスリードがあるけれど、そもそも「晴らす」という動詞は空や雲の状態よりも、ネガティブな心の状態を払拭するときに使われる印象がつよい。
ここには独立した宣言があるのではないか。ルビの役割を明確に理解させてなおそういった可能性を手放さないところがこの初句のなんかすごいところだと思う。青空側に擬態した「わたし」の声が聞こえる。あえていうなら、自分が雲であるという汚名を晴らす、というような意思表示が。