平岡直子


生活がやってきて道の犬猫が差しだす小さく使えないお金

フラワーしげる『ビットとデシベル』(書肆侃侃房 :2015年)


 

大名のように偉そうな「生活」である。道を歩いてくるだけで道端の生き物に年貢のようにお金を差しださせる。なるほど人にとって生活、たとえば寝食や家事、年賀状を出さなければいけないことなどの煩わしさはときにそういう巨大な圧力である、といったん同意しよう。しかし、搾取される側への同情もあまりなさそうなことは、「あのくらいのサイズで四本足の生き物はだいたい同じ」とでも言いたげに雑な「犬猫」という言い方に表れる。ここには「生活」「犬猫」「お金」それぞれに対する小さな反感があり、「小さく使えない」ものへの愛着だけがある。
お金という経済の側面を含む「生活」と「犬猫」がきれいに対立している構図の歌だけど、その実この「犬猫」は生活の一部なのではないかと思ってしまうのは、ほかでもない「犬猫」というまとめ方による。日本では道に野良猫はいるけれど野良犬はほぼいない。多くのペットショップの二大目玉商品は犬と猫だ。つまり「犬猫」とまとめられるときに連想するのは野生動物ではなくペットである。そして、ペットとは人間にとってお金を払って維持するものであり、生活を濃くするものだ。
同じジャンルのはずのものがなぜか対立している。フラワーしげるの歌はこういった仲間割れをよく起こさせる。それでいて無理やりに二分したどちらにつくでもなく、両者のあいだでイライラしているようである。何がしたかったんだ、などと思ってはいけない。何がしたかったのかなんてわからない歌こそが、「小さく使えない」ものなのだから。

 

小さなものを売る仕事がしたかった彼女は小さなものを売る仕事につき、それは宝石ではなく/フラワーしげる