俵万智『オレがマリオ』(文藝春秋:2013年)
『オレがマリオ』……なにか回文めいた呪文っぽさを感じるタイトルの歌集の表題歌。都会から沖縄の離島へ移住した母子の生活が描かれる歌集で、掲出歌ではゲームを投げだしてのびのびと島の自然を楽しむ子どもの姿が詠われる。優等生的なまでに健やかで、そして、とてもこわい歌だ。母子という関係の閉塞感やグロテスクさを書くことにかけて現状俵万智の右に出る歌人はいないとわたしは思うけれど、この一首は表題歌だけあってその手腕が光る。
この歌にまず感じる不気味さは、「マリオ」の登場するゲーム「スーパーマリオブラザーズ」が一世を風靡したのは八十年代であることだ。タイムスリップしたかと思った。いや、ゲームに詳しくないわたしの知らないところでたぶん新作も出つづけているんだろうし、三十年前のゲームを好む子どもだっているだろう。けれど、そういった細かい事情を汲むには掲出歌のマリオはあまりに象徴的に選択されてしまった。2011年以降の世界が描かれているはずの歌集との奇妙なずれを感じる。さらに、ゲーム中のマリオなる主人公がたしか髭をたくわえたおじさんであることも味わい深く、無邪気な子どもの輪郭をとった人物の得体の知れない老成が晒されているようである。極めつけは、「ゲーム機」と「島」とのあいだの相似を意識させられる歌のつくりによって、それが「一首」という限定との相似形であるという点についても思いが及ぶこと。じわじわと「子」が定型という画面のなかで操られるゲームの主人公にみえてくる。そう、彼がマリオだ。