大松 達知


アイスクリーム君が食べしと死の四日前に記せり読むたびに泣く

                          草田照子『聖なる時間』(2009)

 

 夫君の病気と死をめぐる時間の過ぎ行きが読ませどころの一冊。

 「君」は夫。「記せり」の主語は、その夫か作者か。ここでは、作者であるととっておく。

 

 挽歌では、そのディーテイルが大切で、劇的過ぎても素っ気なさ過ぎてもうまくない。しかし、そのディーテイルを創作したり脚色したりするのは、作者自身が避けるのではないだろうか。倫理のモンダイでなく、気持ちのモンダイとして。

 この場合も、おそらく、書かれていることは真実であると、理由なしに信じて読んだ。

 

 アイスクリームは、かわいいというか、大のオジサンにはあまり似合わない食べ物かもしれない。子供が嬉々として食べるのがイメージ的には合っている。

 かなり衰弱していたはずの夫が子供のようにアイスクリームを食べていたというだけで泣ける。

 さらに、記録を読んで、ああ、あのときはまだ生きていたんだと夫君の細部を思い出し、ああ、あれは死の四日前だったのだと記憶を遡り、ああ、そんなことまでも自分は書き留めていたんだと気付く。

 そのすべての要素がいっぺんに押し寄せてくるから、なんど読んでも泣いてしまうのだろう。読者はそうして泣く作者を知って、心で泣くのである。

 初句七音のあふれるような感じも、涙があふれ出るイメージに重なってくる。