染野 太朗


君にしも遠ざかれるかあまりにも近づきたるか夢にうつらず

三ヶ島葭子『吾木香』(東雲堂書店、1921年)

※引用は短歌新聞社文庫『吾木香』(短歌新聞社、1999年)より

 


 

君から遠ざかったからなのか、あまりにも近づいたからなのか、君が夢に出てこない。君に「しも」は、強意の助詞。

 

遠すぎればもちろんそれは見えないし、近づきすぎれば拡大されて視野を大きくはみ出し、何なのかわからない。モノを見るときのそういう見え方が心理的なところにスライドして、「ああ、遠いときというのはそのとおりだし、たしかに、相手に心を寄せ過ぎても本来の姿って見えないよな」と、この一首はまず思わせる。それから、夢に「うつらず」は「映らず」だと思うけれど、夢をそうやって映画かなにかのように扱うのも、視覚ということをテコにして君を描いた四句めまでによく響いている。「君にしも」と「あまりにも」はまったく異なる意味であるにもかかわらず、「にしも」と「りにも」あたりの音の構成がとても似ているからか、自然な言葉運びに乗ってすっと一首を読み下すと、「遠ざかる/近づく」についての内容をベースとして「一・二句/三・四句」が意味的にも完全に対称を保っているように感じられるのがおもしろい。その対句的なところや、いま見たような、遠すぎても近すぎても見えないというちょっとした発見や「うつらず」という言葉による夢の扱い方には、知的な処理というか、なんだか冷静なものがある。だから、描かれた君への思いそのものはなかなかにこじれてバランスを崩しているにもかかわらず、そしてそれ自体には素直に感情移入もできるし「夢に出てくることだけが頼みなんだろうな」などと考えれば考えるほど読者として悲しくもなるのだが、一方で一首のたたずまいからは理性的なものや余裕も感じられる。

 

ただ、やはり印象的に伝わってくるのは、わかりやすくかつシャープな認識としてある「遠すぎても近すぎても見えない」のところであって、心情を「ああー、見えない、見れなくなるよね…」と共感的に読んだ。

 

起きゐつつ一日とせんか寝とほして一夜とせんか君を待つ三日(みか)

※( )内はルビ

 

という歌も、歌集中すぐあとに出てくる。三日間も君を待つというのはあまりにも長く感じられるから、起きつづけて三日を一日としてしまおうか、それとも寝つづけて一夜としてしまおうか。「ああー」と思う。いやでもそれは寝てしまったほうがラクだよなと思う。万が一にでも、夢に出てくるかもしれないし。