柚木圭也『心音(ノイズ)』(2009)
作者はどこかの喫茶店にいる。
通りを隔てた向かい側(斜交いかもしれない)の雑居ビルの、2階より上にダンススクールがあるのだろう。
外に面した大きなガラス張りの部屋の中では、生徒がゆるゆるとダンスを踊っている。活動そのものが街に開かれた広告であるように。
フルーツゼリーを食べている人とダンスを踊っている人たち。
共に、生命活動には無関係の、言わば〈どうでもいいこと〉している。その双方が見る側と見られる側に分かれて、都市の一角で交錯した瞬間である。
自分の名前を街に晒しながらダンススクールを経営する人とその教え子たち。作者は匿名の空間から、それを見ている。
7・7・7・8・7の膨張したようなリズムが、この一首の場合は、アンニュイな都会の午後(たぶん)の雰囲気を映している。
「フルーツゼリー」の初句字余りは、ダンスをしている人が手足をゆるらに伸ばす様子と重なる。
「大山勤ダンススクール」のぎくしゃくした感じは、狭いビルの一室で、ぶつかりあったりしながらダンスをしている人たちのいらいらした感じさえ伝えている。
そういう無意識の定型の出し入れは、柚木圭也の得意とするところである。