Tシャツを千枚脱いだら目覚めたの すみやかに来てグラン・パ・ユング

北川草子『シチュー鍋の天使』(沖積舎:2001年)


 

北川草子の唯一の歌集である『シチュー鍋の天使』には、わたしが知っている九十年代と、わたしが知らない九十年代の気配をともに感じた。この歌集は遺歌集という性格上か、歌が発表された年代が章ごとに明確に記されていて、一冊を通すと九十年代の最初から最後までにあたる。八四年生まれのわたしにとっての個人的な九十年代はほとんど家庭のなかにだけあって、世の中で起こっていたことは何も知らない。覚えているのは長野オリンピックくらいである。だけど、短歌のシーンとしての九十年代については後付けで多少知っていて、それはこの歌集の「わたしが知っている九十年代」の部分でもある。わたしの知識のなかでの九十年代はなによりもニューウェーヴの旋風のなかにあった時代であり、その頃に刊行された代表的な歌人のいくつかの歌集は今読んでも色褪せていない。
『シチュー鍋の天使』のテンションの高い口語文体にはニューウェーヴの風がたしかに当たっていると思うけれど、この歌集には色褪せている部分も多い。そこが「わたしが知らない九十年代」の部分なのだけど、わかりやすいところでいえば、

丸文字でシルクのパジャマねだっても「ミルクのパジャマなんてしらない」
つかいすてのウォークマン用乾電池みたいに二人で眠る休日

丸文字やウオークマン、八十年代の終わりに流行したものがぽんぽん出てくる。たとえばこの「丸文字」はわたしには化石のようで、正確なニュアンスを汲みとれているとは思わないのだけど、作られた意図としては少女性を強調するものではあっても、わずか二十年後にこれほどレトロさを帯びることはそれほど意識されずに作られているような気がする。語彙に普遍性が志向されていないこと自体が刹那的なある青春性を切り取っているともいえるかもしれないけれど、しかし、思えば『シンジケート』にも『マイ・ロマンサー』にも死語は出てくる。それらの歌集をわたしがすんなり読めるのは、「バブル景気を経験した若者の全能感」といった時代背景と紐づけされた言説に少なからず助けられているからだ。色褪せた部分にも光が当たり直しつづけているということである。そして、『シチュー鍋の天使』にあらわれるアッパーな屈託は、バブル景気とかと紐づけると、アッパーなほうは読めても屈託のほうを読みこぼしてしまう。それはぜんぶ読みこぼしてるのと同じことだ。たとえば、シルク=高級なパジャマをねだる、という部分に好景気の名残りを感じることはできても、少女文化だった「丸文字」が伝達を不可能にさせることの重さが定めきれないし、でも歌の主題はそっちにあるとも思う。

 

課長席のななめうしろで窓ふきのおとこに舌を突きだすウェンズデー

この歌は「課長席に座るのは自分ではない」という感覚、はっきり言うと「そこに座っているのは男性である」という感覚、現代においては建前上はないことになっている前提を導入しないと読みきれないように思う。席にいるであろう「課長」も挑発される「窓ふきのおとこ」もなんだかおちょくられている。自分よりも大きいもの、強い力をもつ存在に対して、真っ向勝負をするのではなく、脇の下をくぐりぬけるようなちょこまかとした挑み方は歌集の随所に感じる。「おちょくる」という選択が、余裕のある表現としてではなく抵抗として最大限だった現場の雰囲気がこの歌集には留められ、そして閉じこめられてしまっているのではないだろうか。

ベスト・オブ・賢者の贈り物としてタイムマシンを父に捧げる
Tシャツを千枚脱いだら目覚めたの すみやかに来てグラン・パ・ユング

これらの歌のユーモアと挑発の混ざりあいにもなにか切迫したものを感じる。「父」や祖父に見立てた「ユング」への親愛のような感情とともに、自分が誕生したことへの苦みや、体系的な学問への意図的な軽視がある。童話や児童文学からの引用、ファンタジックなモチーフの多さも北川草子の作風の特徴だけど、そういったものも、心の要塞というよりも、現実をより軽やかに茶化すための文体の身軽さを保つ意味合いがつよいのではないかと想像する。想像するしかない。

 

飯田有子の『林檎貫通式』はわたしの最愛の歌集のひとつなのだけど、飯田有子と北川草子は途中まで経歴が似ている。同年代であるだけでなく、ともに早稲田短歌会を経てかばんに所属し、文語の堅苦しい文体を出発点にしながらのちに奔放な口語文体を得るところも近く、歌集は同じ年に刊行されている。北川草子よりも普遍性も強度もある飯田有子の歌集についてはまた改めて取り上げたいけれど、時代の空気にアクセスしづらかった『シチュー鍋の天使』を読むのにあたって『林檎貫通式』を参照したし、それが正しかったのかはよくわからないのだけど、参照できるものが他に少なかったことを残念だと思う。