染野太朗


おしゃべりは咲いては枯れてまた咲いて矢車菊の蒼い夕暮れ

神野優菜「矢車菊」(「一凛」第5号、2018年)

 


 

「矢車菊」は高校生活を中心として日々の思いを描いた30首。

 

「第7回牧水・短歌甲子園」(2017年)に提出された、

 

鳥はいつ自分が飛べると知るのだろう屋上に踏み込むときの風

 

という一首もこの連作は収める。下の句の「屋上に踏み/込むときの風」という句跨りが話題になった。踏み込むときの力が、直前の切れ目とともにある、「込」む、という音によってより印象を強くする。それによって、吹いてきた風の抵抗も、より強い体感としてこちらに伝わってくるように思う。

 

「鳥はいつ自分が飛べると知るのだろう」という上の句について、「自分はまだ飛べていない」とか「自分もいつか飛びたい」とかいったことを思っているのだな、というふうにだけ理解すればよいのかもしれないが、ここにはもっと別のものを読み込むべきなのではないかと僕は思っている。

 

鳥には翼がある。けれども幼い鳥は、それが空を飛ぶためのものだということをまだ知らない。自分の翼のそういう役割を鳥はいつ自覚するのだろう、と上の句は言っているはず。それを、歌の表す心情として正確に写し取るならば、「まだ飛べていない」「いつか飛びたい」ではなく、「自分にも、自分ではまだ気づいていない力があるはずだ。それはいったいどこにあるのだろう、いつ自覚できるのだろう」ということになると思う。それは、自らに足りないものを得たいとか、希望をもって前に進もうとかいうこととは、似ているようでいてまったく違うものだ。この人は「自分にも何らかの力があるはずだ」ということを信じている。それに気づいていないだけだということがわかっている。だからこの「風」は、それに気づくための風、自分の力を引き出すための風、ということになる。自分にあるはずの力を手元に引き寄せようとしている。それはやはり、不全感や不安、あるいは未来への希望や期待といったこととはだいぶ異なっていて、もっと現実的で、冷静で、自らを信じた力強い営みであるはず。作者が高校生であるという事実は、読みにさまざまな先入観を引き込んでしまうと思うから(つまりそれは読みに「先入観をもたないようにしよう」という過剰な負荷をかけることにもつながる)、どこまで客観的に読めているか自信はないのだけれども、僕はここに、たいへんにすがすがしい自己肯定感のようなものを読み取る。「踏み込む」というときの力強さは、その「肯定の力」によって支えられているのだと思う。風の抵抗は自らを阻むものではない。困難ではない。踏み込んだその瞬間にはもう、翼が大きく広がるのかもしれない。

 

今日の一首。「屋上に踏み/込むときの風」とはまた違った種類のレトリックが一首を統べている。おしゃべりをしていて次々に話題が移り変わっていく様子を「咲いては枯れてまた咲いて」という言い方で比喩的に表現しているのだと思うが、その「咲く」という語がそのまま「矢車菊」という実際の花を歌のなかに導いてくる。矢車菊のうつくしい色が見える。それを「蒼」だと言っている。すこしくすんでいるのかもしれない。そしてその色が「夕暮れ」を導く。夕焼けの色というより、ほとんど夜に近い色をした夕暮れ。言葉が連想ゲームのようにして(しかもそれはごくシンプルなものだ)、直接にまた別の言葉を呼び込み(縁語とか序詞といった語で説明してもよいのかもしれない)、言葉だけで抽象的に展開するように見えて、けれども一首としては、次々に話題を変えながら続くおしゃべりと夕暮れまでの時間経過と夕暮れを背景に咲く矢車菊という具体的な景を、うつくしく映像として提示する。しかしやはり、これが完全に実景かと言えばそうでもなく、矢車菊もただのイメージで、抽象的なものであって、そこには夕暮れだけが残っているというような感じもある。具体と抽象の中間にあるような歌だ。「枯れる」というちょっとネガティブなイメージを誘う語と、それが「夕暮れ」であるという点も見逃せない。できごとや景の全体を引いた視点で捉えているということも含めて、自分がおしゃべりに熱中していたというより、それをどこか冷めた目で眺めていた、という印象をすくなからず残す。

 

神野の歌の言葉づかいは、どこかで見たことがあるような感じがするのに、注意深く目を凝らすと、かなり独特で複雑なものを湛えているとわかる。観念にばかり傾きそうでいて、そうとばかりも言えない芯がある。心情や情感、景色や場面といったものが、シンプルな日常の語彙のなかに、幾層にもわたって見えてくる。

 

「矢車菊」からさらに引く。

 

さよならの夕べの雨はあなたから放たれた矢だと思って濡れる
教科書をゆっくり閉じて息を吐くやわらかいのね雲間の月は
プリントを手渡してくれる先生と机に押しつけ出てゆく先生
愛しいと思えるものよ増えてゆけ朝陽に夕陽、消えない嘘も
夕立ちよ激しくもっともっと降れもっと泣けたらもっと笑いたい
まだ君と笑いあえてた日の雨が動画の中で今もやまない
懐かしいねって言いあうだけでたぶんこの再会は終わってしまう