鳥居「ある風景」(「現代短歌」2018年3月号)
初句から順に読んでいって「霊柩車」が出てきたときちょっとびっくりした。「金箔のきらめきこぼし角をまが」ったのはなんだろう、この人自身なのかもしれないな、……というようなわずかの予感をもちながら読んでしまっていて、そうしたら「霊柩車」のことだった。しかも「なし」なので、想定されてはいるけれどもついにそのような霊柩車は存在しない。けれどももちろん、見せ消ちの効果があって、金の装飾をほどこされた霊柩車が角を曲がる様子は見えてくる。現実からやや離れて、霊柩車が金箔をはらはらとこぼしている様子も見えてくる。それが、一年でいちばん日の短い冬至の光を受けているのであろうところに、どこか刹那的な感じやさむざむしい感じを読み取ってみてもよいのかもしれない。冬至にまつわる伝承や伝統をかさねて読むこともできよう。けれどもそれはそもそも「ない」。
「角を曲がる」が三句目にあり、五七五七七のリズム上、四句目とのあいだに大きく間(ま)を取りやすいから、つい終止形のようにして読んでしまったのだが、次にすぐ「霊柩車」という体言がつづいてしかも霊柩車の装飾というのは金色だからこの「きらめきをこぼし角を曲がる」は「霊柩車」にかかる連体形なのだろうと読み直し、けれども直後に「なし」と打ち消される(読むのにわりといそがしい)。この霊柩車はこの人にとって、かつて実際に見た、忘れられない霊柩車なのだろうか、それともふいに想像された、自身の記憶とはまったく関係のないそれなのだろうか。歌の読みとしては、例えば、「この霊柩車はきっと、この人がかつて経験した誰かの死を思い出しているということの表現なのだろう」「しかもその思い出というのは、金箔のきらめき、とあるから、むしろ良い体験、うつくしい体験として記憶されているのだろうか」とか、あるいは「自分がいま、甘美な死を望むような心境なのだろうか、それができなくてくるしいのだろうか」とか、心情を投影させるようなこともいくらでもできそうだけれども、僕はどうしてもそのような読みにもっていけなかった。その理由はおそらく、ひとつに、「冬至のまちに」という結句にあるだろう。ここだけ描写が大づかみなのだ。三句目まで幻想とも現実ともつかない描写で押しすすめ、「霊柩車」でそれがぐっと現実寄りになる。霊柩車というのはそれほど日常的なものでもないからか、インパクトがあり、また、この漢字の字面もあってか、ただ「〇〇車」と言っているだけなのに、手触りが妙に具体的に感じられる。でもそれを受ける「冬至のまちに」は、ずいぶんとおぼろな感じの把握だ。どの町なのか、どんな町なのかはわからない。ただ「冬至の」とだけ示される。その感じが、誰かの死への思いだとか死を求める気持ちだとかいった、ちょっと重ための心情への集中を妨げているように感じられて、この人の思いをどこか、うすく拡散してしまっているように思える。「冬至」という語とその季節の印象もあろう。だからこの歌は僕にとって、ただ淡々と「霊柩車なし」と言っているだけの歌のようにも見える。そうは言ってももちろん、「金箔のきらめきこぼし」とまで言い、さらにそれが「ない」ことをとりたてて言うのだから、「それがあってほしい」というような心情は感じとれなくはない。ただ、「霊柩車」に過度の象徴性を読むことには無理があるような気がするし、その「それがあってほしい」という欲求でさえもそれはそれとして放っておけるというか、外側からその欲求を冷静に眺めているような印象も受けたのだった。ただ残像として、モノとしての「金箔のきらめき」がそこにあるのみ、というか。
そしてこの印象は実は、「ある風景」という連作のなかにこの一首がある、ということにもよるのだろうと、一読者として思う。
「ある風景」24首は、そこに「ない(なかった)もの」あるいは、「見えない(見えなかった)もの」が多く描かれる。ないということが意識されているわけだから、その裏側には「あればいいのに」というふうな思いを読みとれなくはない。けれども、いま述べた「霊柩車」と同じく、「ないこと」に対する思いがこちらにつよく迫ってくるかというとそうでもないのだ。その「ないもの」やそれに対する思いは、輪郭をさほどはっきりとはさせない。「ない」ということが、見せ消ちゆえの存在感を保ちながら、連作のなかにかさねられていく。軽々しく「喪失感」とは名付けられないような「ない」がそこにある。その感触がとてもふしぎな連作だった。さまざまな種類の「ない」があり、僕には24首すべてがどこかで「ない」につながっているように読めてしまって(……そう読めてしまうので、これは作者「鳥居」に関する情報を恣意的に再構成した読みなのではないかと慎重になったのだが、そうではなく、やはりこの連作そのものの特徴だろうといまは判断している)、一首一首の「ない」がどのようなものか、ひとつひとつ検討したいくらいだ。
野を焼いて戻りし夜更け農夫らはつめたき牛乳汲みて飲みゐむ
うすき風曳きつつ揚羽蝶飛べるこの音楽のかよはぬ坂を
乾燥に一夜さらされ目覚めれば痛める咽喉にかささぎが棲む
来し方にも行く手にも母待ちてゐし回転木馬まはれる夕べ
昼間にはなかつたやうな樫の木が駐車場へと影伸ばしをり
二ページ目で親を失ふ野兎の毛並みを描く鉛筆の線