平岡直子


階段の底までくだり昼くらきコーヒー店に来てまづ眠る

篠弘『昨日の絵』(1984年:短歌新聞社)
※文中に引いた歌は『至福の旅びと』(砂子屋書房)より


 

篠弘の歌のすべては階段の上がり降りにある。職場詠を基盤とする作品を追っていくと、仕事場が建物の上階にあり、酒場や喫茶店が建物の下階や地階にあるにあることがわかる。そのあいだの往復をぐらぐらと追体験することが篠弘の歌を読むことだ。仕事のオン・オフの切り替えとしてだけでなく、気分、街の景色、人間関係、自然物、自らの進退、さまざまなものが階段のバリエーションのように高低差とともにあらわれる。

北に向くハモニカの簧(した)列なして神保町街くらき古書店
さみだれの路上を走り蛇行するテニスウェアの白きかたまり
めぐりゆく夜の地下街の天井に太さ異なる管つづく見ゆ

たとえば一首目、俯瞰的なこの歌は古書店街よりやや高い場所から見下ろす景色であることがまず意識される。「ハモニカ横丁」という通称の有名な飲み屋街が東京都武蔵野市にあるけれど、小さな路地にびっしりと商店がならぶ様子に楽器のハモニカを連想するのはそれほど珍しい見立てではないだろう。しかし、簧(=リード。「舌」が語源)が出てくることや、「北に向く」「列なして」などにはどこか生き物っぽいなまめかしさがある。この言い方は書店の営みの生命感を引き出すとともに、ハモニカに息が吹きこまれているようでもあり、その音には当然高低差があることすら思い出させられる。

 

ハモニカの歌、あるいはその次に引いたテニスウエアの歌が階段をのぼった先からみている景色だとしたら、階段を降りているのが掲出歌。照明の薄暗い喫茶店はどこにでも、何階にでもあるけれど、「底」からの「昼くらき」には地階を想像させられる。地階のおもしろさは人工的な底であることだ。階段にはたしかにかならず底があるけれど、それは果てしない地底のことではなく、かと言って一階に着くともかぎらず、その建物の構造によるものである。地階を意識することは建物が街に織りなす人工的な凹凸を際立たせる。同じことは上に引いた三首目の地下街の歌にも言えるかもしれない。
「くだり」という動詞を発した直後に思い出すような「くらき」、そして「くらき」に重なるコーヒーの暗色、こういったグラデーションのような連なりが一首のなかの夜を深めるようで自然に「眠る」に導かれるけれど、コーヒー店は眠るためのものではないし、カフェインは一般的には人を目覚めさせるものである。昼に暗い、という小さな倒錯が、コーヒー店で眠る、という小さな倒錯と一致していることに気づくとき、読者は初句から心象風景が詠われていたことに気づくだろう。階段を降りることも、暗い喫茶店も、実景であるとともに精神状態そのもののようだ。心が街、それも神保町の街と同じ形をしている。

 

(「さぼうる」かなあ)