紙飛行機はいちまいの紙に戻るだろう このしずけさが恋であるなら

白水ま衣『月とバス』(2018年)

 


 

白水の歌には「静謐」という語がいかにもふさわしいとつねづね思っていて、今回『月とバス』という120首とすこしの私家版の歌集をめくりながらやはりそのようなことをまた思ったのだが、けれども一方で、静謐、というだけではまるで足りないのだな、ということもよくわかった。静謐を支える繊細さを保ちながら、凛として骨太なのだ。

 

清潔なロビーのようなこのひとの心に落とす夜のどんぐり
どちらにするのか選べなかった少年を生かしてみじかき映画は終わる
小袖池が西陽のなかにゆらめくを窓閉めてからもういちど見る
帽子のように遠いひとだとおもうとき脱いではならぬ帽子だ、これは
ふりがなをふられたる字のさみしさにもふりがなをふる、ようにふる 雪

 

静謐で、凛としている。余情がふかくて、読者としてそこに感情移入をしたくなるけれど、しかし一方で、その感情移入によって歌の雰囲気を壊したくはない、と思わせるような歌だと思う。一首目、その「清潔なロビー」の広々としたなかに落とされても、小さな「どんぐり」は決してこのロビーを汚すことはないだろう。でもその「清潔」さゆえに、そしてそこが「ロビー」であるがゆえに、この「どんぐり」は異物としての音をそこに響かせる。「夜の」あたりにわずかの悪意の類いを読んでもよいのかもしれない。三首目、初句からすこしずつ構成されていく心情と景を、ふたたびしかも同時に動かしてなおしずかな「もういちど見る」という措辞など、いつまでも読んでいたくなるような魅力にあふれていると思う。西陽にゆらめく水面と、ガラス越しにふたたび提示されるそれに、読者としての感傷的な気分を安心して預けられる。でもこの「小袖池」は、この瞬間この人のものでしかありえない、という感じがする。「小袖池」という固有名詞と「窓閉めてから」「もういちど見る」という具体的な動作が、一首そのものの景を容易には一般化しない。この景はまずこの歌のなかだけに存在する。

 

上に記した、骨太、ということにかかわっていくけれど、さらに付け加えるならば、白水の歌はとにかくアツい。静謐であるけれどアツい。アツい、という、使い方によっては恥ずかしくなるような語と表記であってもそれによってあらわしたくなるのは、たとえば、そういった語をあえて受け入れてくれるような独特のユーモアが、懐を深くして歌に携えられているから。上の歌で言うと、やはり「小袖池」という固有名詞のあたりにそれが感じられなくもないのだが、たとえば、

 

肉まんの皮がほんのり甘いのに似ている。恋の気持ち悪さは、
わかりにくいことは罪だと言うひとの首輪にでかい鈴を付けたい
実の付きし木より売れゆく植木市旅の一座のごとく消えたり
れんこんは穴を食うものやや厚く輪切りにしたるを出汁のみで炊く
頷いて、ほしい。鉄瓶ぶら下げて私が湯屋に行ったとしても
さわりたい、というのは鯛の新種だと答えるマフラー巻きなおしつつ

 

といった歌。「肉まん」「でかい鈴」「旅の一座」「食う」「出汁のみで炊く」「鉄瓶ぶら下げて」「湯屋」あたりの語彙そのものと、それをテコにして礼儀正しくメンチを切っているようなあり方や口調に僕はそれを感じる。「れんこんは」と「頷いて、」の歌が含まれる「おむすび」という一連には、

 

偉人伝読み飽きし頃に出会いたり粗忽な家臣が主役の落語
噺家の腹の辺りで手ぬぐいが白餡色の単衣(ひとえ)に透けて居り
お花さんの足指ひゅっと跳ねしとき夏の夜風に雨は匂えり

※( )内はルビ

 

といった歌があって、落語がモチーフだから特にそのユーモアを感じるのだろうけれど、でもとにかくこういう感じを指して僕は「アツい」と思う。「頷いて、ほしい。」なんていう真剣をこんなふうに押し出されたら頷くしかない。

 

ユーモアということとは違うけれど、今日の一首。飛ぶ必要のなくなった紙飛行機、ということだろうか。恋、ということについて手探りでいる感じもある。(誰かのもとに届くように)すーっと飛ばされる紙飛行機が、飛ぶことをせず、飛行機であることをやめて、ただの紙でいられる。音なく飛ぶ「紙飛行機」というだけでも「しずけさ」に沿うような気がするけれど、この歌はさらにその先を見つめていて、本当の「しずけさ」は「紙飛行機」でさえなく、折られることのない「いちまいの紙」なのだ、と言っているように思う。「いちまいの」というひらがな書きがいかにもやわらかく丁寧で、ひろがって「いちまい」に戻るその動きまでも示している感じがする。紙飛行機ですらないのだな、ということが、僕の知らない「しずけさ」を感知しているようで、もっと近づいてみたくなる歌、しかしきっとこの歌にしかこの「しずけさ」はあらわれないのだろうな、と思わせる一首だった。いちまいにひろがった紙には、恋にまつわることばが、あるいはその相手に向かって書き込まれるのかもしれない。けれどもそれは、わざわざ届かせようとする必要のないことばなのだ。しずけさのなかでこそことばは届く、などということまで考えてみたけれど、それはちょっと僕のやり過ぎかもしれないです。でもこの一首もまた別の意味で、アツい、というように思った。

 

足の裏とへその辺りにちから入れさっと結ぶべし具のなきおむすび
土踏まずと土のあいだにあるものを祈りと呼べば匂う天地(あめつち)/白水ま衣