平岡 直子


チーズ濃く香る朝なり遠景に書物のごとき森ある九月

小島ゆかり『六六魚』(本阿弥書店:2018年)


 

不思議な歌だ。〈遠景に〉とあるのに遠近感をあまり感じない。〈チーズ濃く香る朝〉と〈書物のごとき森ある九月〉の二つのブロックがあり、この歌はその二つの関係を読ませる歌であり、遠近感も本来はその二つのあいだにあるものだけど、一首の遠近感はむしろそれぞれのブロックの内部に潜んでいるように思う。
〈チーズ濃く香る朝〉のチーズの香りはまわりを脱臭する。その朝のほかの匂いを退け、その朝以外に無数にあるはずの朝の匂いを退ける。この朝の、このチーズの香りだけがポップアップするような奥行きがある。そして〈書物のごとき森〉には「森のごとき書物」が含まれているように思う。なにかぐらつきのある比喩である。
上句と下句の関係は簡単にも読めるし、同時にそう簡単には納得がいかない。その齟齬の部分に歌の生命線があるように思う。一番シンプルな読みかたは、この歌は細部に至るまでなにかしらの事実が詠われているのだ、と解釈することだ。作者はある九月の朝にチーズを食べたのだ。そして、チーズの香りが濃く感じられた。焼くかなにかの調理をしたせいで匂いが濃くなったのかもしれないし、あるいは初秋の空気の清涼感が匂いを引き立たせたのかもしれない。濃さゆえにその匂いが遠くまで届くようだと感じた。遠くへの意識が、作者の住居から遠くみえる森に視線を送らせる。その森は本に似ているように作者には思えた。
そして、そのシンプルな読みかたには細かい横槍が入る。「書物のような森」の多義性、「書物」という名詞の古風さが「チーズ」や「森」まで巻き込んで神話の道具立てのようにみせる点、そういったすき間に横槍はどんどん食い込んできて、もっと比喩的に、もっと象徴的に読もう、と誘ってくる。
現実に即した風景という表向きの顔を保ちつつ、そういった横槍を入れるすき間を用意しておくのは現代短歌の一般的なありようだし、そのありようにしたがって解釈を膨らませるのも短歌のオーソドックスな読みかただと思うのだけど、この歌はどうもその表向きの顔が破れているし、その奥で揺れる意味のなかにも少なくともまとまりのある象徴性はないようにみえる。
チーズ、書物、森といった名詞のイメージや、九月=秋という季節に加え「九」という数字の「多さ」のイメージなどによる、ある豊潤さはそれこそ香りのように立ちあがってくるものの、名詞のひとつひとつが消化不良で、歌の養分になりきっていないように思えるのだ。チーズ、書物などの名詞の物量感もあいまってか、一首のなかにごろごろと言葉が塊として転がっているような歌だと思う。上句を下句が塗り替える、という印象がなく、たとえば「朝」は「九月」に含まれるはずなのに、「九月」に消化されずに渡り合っているようである。

 

小島ゆかりは遠近感が変な歌人だと思う。好きな歌からいくつか例を挙げると、第一歌集『水陽炎』の有名な巻頭歌〈藍青の天のふかみに昨夜切りし爪の形の月浮かびをり〉の爪が月になったかのような一足飛び感、第七歌集『憂春』の〈まひるまの回転扉くわいてんし亡き人はみな消息不明〉の死者との隣接感、あるいは第三『ヘブライ歴』の〈梨おもく実れる九月 垂直にしろがねの宇宙飛行士発てり〉、この歌は上下の対比の軸がはっきり重力にあるぶん掲出歌よりかなりわかりやすいものの、「九月」がたまたま一致しているところも含めて掲出歌に連なるタイプの歌だと思うけれど、この歌もまた梨と宇宙飛行士のあいだの距離を空というキャンバスの上で無効化しているような歌だ。
物理的、または心理的な距離をかるがると飛び越えること。そのアクロバティックさ自体よりも、アクロバティックさを感じさせないところに作家性があると思う。そこに本来は距離があったと気づかせないほどのっぺりした表情の歌に、だけど読者はなにか不穏な胸騒ぎをおぼえることになる。
そして、そこに注目すると、掲出歌のポイントはやはり「遠景に」だ。歌の性質が歌のなかで言語化されてしまうのは危険なことだけれど、掲出歌の場合、「遠景に」が急所であるがゆえに一首の遠近感は「遠景に」とその他の部分のあいだに生じているようにみえる。「遠景」という言葉だけが遠景にあるのだ。名が体をあらわすこの三句目が、ほかの名詞も消化不良にさせているのではないだろうか。そしてこの歌に書かれているのはどこにもない朝、どこにもない森だと思わされる。

 

掲出歌を含む「風の扇」という連作が抜けてよかったので同じ連作からもう何首か。

一羽のみ昏れのこりつつ白鳥は水上駅のやうにさびしき
いちじくと猫もたれ合ひねむりをり午後の陽たまる古きテーブル
霊園に九月のしろい風ながれ蜥蜴は縞の貌吹かれをり
合唱のひとびとに似てあたらしき墓石群たつ霊園の丘

 

白く顔のないニョロニョロは、耳も聞こえませんし、話す事もしません。目はありますが、あまり見えません。食べる事もしなければ、眠る事もしません。それゆえ感覚が研ぎ澄まされ、とても敏感です。(「ムーミン公式サイト」掲載の「ニョロニョロ」の説明文より)