男の子となかよくなって飲みに行く帰りに光るサンリオショップ

初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』(書肆侃侃房:2018年)


 

わたしの帰り道にはコンビニやサービスエリアがよく光るので夜の商業施設のエモさはよくわかる。暗いなかのあの鮮やかな色や光は救済や絶望にみえはじめる。自分の心のなにかが具現化したものだと思いそうになる。
掲出歌はそこまでコントラストはつよくなく、サンリオショップはまわりになにもない夜道にとつぜん出現する類のお店ではないので、ある程度の規模の都会の街なか、あるいはこまごまとお店が入っているモール的な施設のなか。そこにはサンリオショップだけがあるのではなく、雑然とした背景からサンリオショップだけを切り出させる心の動きがあるのだと思う。
サンリオショップは現実からすこし浮いているお店だ。キャラクターグッズが専門的に置かれており、統一された世界観が押しだされていてデコラティブ。そこにピントが合う心理状態もやはり現実からすこし浮遊したものだろう。「飲みに行く」というイベントと、そこに含まれるアルコールによるかるい酩酊がサンリオショップにちょうどいい。おそらく往路にも同じショップはあったのではないかと思うけれど、帰り道にそれがはじめて光るのは、たとえば帰りが夜になったとか具体的な時間の流れも感じさせるけれど、気分の流れのほうがあらわれていると思う。なぜかとても身軽で荷物がすくなそうな印象を受けるのも、身体よりも意識が歩いている感じがするからだろうか。

 

清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき/与謝野晶子
人類へある朝傘が降ってきてみんなとっても似合っているわ/雪舟えま
みんなきれい 水族館ではいきものが泳ぎやすいようひとみが濡れる/初谷むい

 

これらは「みんなきれい界」の歌たちだ。作者のなにかしらのつよい感情が「みんなきれい」フィルターを発動させ、フィルターごしの世界の輝きを読者に垣間見せる。その突き抜けた肯定感が詩情になる。掲出歌で光っているサンリオショップは、晶子の歌の桜月夜と同じものだと思う。今宵逢うハローキティやリトルツインスターズやマイメロディがみな美しい。そしてこの「みんなきれい界」のなかでも初谷むいの歌はこの世に対してごきげんだと思う。

 

その国でわたしは炎と呼ばれてて通貨単位も炎だったのよ/雪舟えま
たんぽぽがたんぽるぽるになったよう姓が変わったあとの世界は

お湯のことさゆってよべばおいしそう さゆ きみの中身を知りたいよ/初谷むい
エスカレーター、えすかと略しどこまでも えすか、あなたの夜を思うよ

 

初谷の歌には雪舟えまの影響を感じる部分は大きい。ここには、名前の独自の呼び方という共通項で歌を抜き出してみたけれど、こうしてみると雪舟えまの歌は肯定感はつよくてもぜんぜんごきげんじゃないなと思う。名前を呼び変えることでその周辺の「国」や「世界」もすり替えようとする。隙あらばこの世を総とっかえしようとするような歌たちにとても満足感は感じられない。それに対して、初谷の歌は目の前の現実をまるごと抱きとめた上で、その内側を覗きこもうとする。一首のなかで嚙みしめるようにうっとりと呼び直される名前には、名前を呼ぶことでその対象を所有することへの陶酔がある。かなり危険な欲望の、かわいい形の発露である。
掲出歌はやはり「サンリオショップ」という名詞が効いていて良いと思うのだけど、キャラクターグッズ自体に危険な欲望のかわいい形の発露という性格があり、それがショップを内側から光らせているともいえると思う。