白き雲流れゆくなり 雲梯を這って渡ったこと一度ある

野田光介『半人半馬』(短歌研究社、2016年)

 


 

やはりこまかいことのようなのだけれども、「這って渡ったこと一度ある」という下の句の、音や句跨りや助詞抜きの感じをちゃんと味わうべきだろうなと思う。「這って渡った」という促音がはずむような響きを生むかと思いきや、続く「こと」に向かって句跨りを起こすから、どこかその勢いは削がれる。つまずく、とまでは言わないけれど、音の流れのなかに石を置かれてしまったような感じ。そして「こと一度ある」は、あえて言うなら、こと「が」一度ある、なのだけれども、この「が」という助詞が抜けている分、「一度ある」のほうは助詞抜きとまでは言えないはずなのに、「一度」と「ある」のあいだもなんだか欠けているような感じがしてしまう。つまり、「が」の助詞が欠けることによるすこし拙いような口調が、最後までちゃんと引き伸ばされてその効果を保つ。拙い、というか、ほんのわずかにぶっきらぼうな印象、というか。この、促音の勢いを見せておきながらそれを打ち消す感じや助詞抜きのぶっきらぼうな感じというのが、読みの無意識のところでだいぶ効果をあげているように思うのだ。どのような効果か、ということを理屈立てて説明するのがとてもむずかしいのだけれども、とにかくこのありようが、この下の句に含まれるはずのなんらかの感情、感慨、抒情、といった類いのものの温度を下げている。

 

真顔のままで淡々と流れゆく雲を眺め、記憶の雲梯を眺めている。内容はまったく異なるものだけれども文字の上での類似によって縁語のようにして「雲」が「雲梯」を導き、それが「腕の力でぶら下がって渡るんじゃなくて這って渡ったことがあるなあ」という記憶を引き出す。「雲梯」そのものが「雲」に見立てられているのではなくて、そこを這ってゆっくりと渡っている人物自体がまるで雲のよう。雲梯のアーチは、だから雲の軌跡ということになる。読者として、白い雲を下から眺め、さらに、雲梯の上を這う人物を下から眺める。見上げると、青い空をバックにして雲と雲梯と人物が重なり合っている。なかなかおもしろい構図を想像することができる。

 

這って渡るという状況にはおかしみも読み取れるはずだけれども、その温度も下がっていて、おかしくて笑ってしまう、という感じでもない。温度が下がっているその理由には、上に記した下の句の構造のほかに、「白き雲流れゆきたり」の情緒や「雲梯」という語の漢字の詩的なたたずまい、または雲梯というモノからにじむノスタルジーその他もかかわっているはずだけれども、その情緒や詩性やノスタルジーは、こんどは逆に、下の句の構造やおかしみによって温度を下げられている。感情移入しすぎたり笑いすぎたりしないで済む。結果として雲と雲梯と人物の構図が際立つ。

 

と、ここまで記しておいてあれなのだが、実はこの一首の直前には、

 

五月晴生きているのがようやっと 平均台に立ったことなし

 

がある。「生きているのがやっとだから、運動なんてもちろん苦手で、平均台にも立ったことがない」と言っている。「平均台に立ったら、きっとふらふらして落ちてしまう」と人生の喩として「平均台」を意識しながら言っている。この歌を引き継いで今日の一首があるから、「雲梯を這って渡ったこと一度ある」はつまり「他はやったことないけど、雲梯なら一度だけやったことがある、上を這ってだけれど」あるいは「這うような思いで人生の問題をクリアしたことがある」と言っていることになる。そうなると景の構図や抒情に流れすぎないありようというのはちょっと見えづらくなる。とにかくユーモアが軸の歌、と言ってもよいのかもしれない。

 

それにしてもだ。「平均台」の唐突は、おかしみというより突飛な発想として驚きがあるし、「平均台をここで発想するこの人はだいぶ個性的だよな」なんてことを僕は思ってしまう。その「だいぶ個性的だよな」という感じの人が真顔気味に雲梯を這って渡るようすやそれを思い出すときの心情というのはどんなものなのか、笑ってよいものかなんなのか、読み手としての僕のほうが真顔にならざるをえない。

 

なにかが過剰、あるいは、なにかが欠けていて、その余ったところや足りないところに、硬質の抒情が染みこんでいる。バランスを取りながらようやっと生きるようすのわずかの哀感や、悠然として流れつづける雲の質感が、個性的とか縁語とか突飛とか、そういうことの背景として歌を統べている。

 

桜一枝狂い咲きたり忘れもの取りに走って来た子のように
降る雪は川面に消ゆる 傲岸な胸板持ちて若かりしかな
花火大会果てて老若皆歩む大きな船より降りたるごとく
うかうかと影をひきずり出歩きぬ家に籠りて石臼回そ
脚一本欠けたる椅子が倒れないあいだに夕陽は沈むだろうか
餌持たぬまま佇めりそよろそよろあつまりてくる鯉のくちびる
欄干に凭れ見ている夜の川 人間が人間を襲うことあり

/野田光介『半人半馬』