藤棚のやうに世界は暮れてゆき過去よりも今がわれには遠い

田村元『北二十二条西七丁目』(本阿弥書店、2012年)

 


 

藤棚のように暮れる。それは、藤棚のような夕空、ではない。ように、はあくまで用言に係っていく。「藤棚」と夕空が「ような」で接続されているのであれば、藤の花の色や藤棚が広がるあの感じと、夕空の色合いや広がり、奥行き、質感とを結び付けて想像すればそれで済む。けれどもここではあくまで、藤棚の「やうに」暮れてゆき、と言っている。だからこの藤棚は、盛りを越えて枯れていく過程にある藤棚、をイメージの中心に据えて読むしかない。藤棚や夕空のうつくしい色合いよりも(もちろんそれもまずイメージすべきだけれど)、語の構成上、この人はそれが失われていくこと、枯れた色になっていくことに主観のフォーカスを当てているように見える。

 

そのような主体の意識が「過去よりも今がわれには遠い」と言うとき、その「今」はおそらく不如意に満ちている。日々が忙しなく過ぎて、自分の足元を確認する暇もない。生活の実感や安心や喜びが薄く、「今」を頼みにできない。だから「過去」のほうが親しい。「過去」はこの人にとっておそらく、藤棚のようにそれ以上枯れたり、夕空のように刻々と変化したりすることがない。それがもし喜びに満ちた過去であるならなおさらだ。

 

……というふうに読んでいけばつじつまは合うし、読みとして小ぎれいにまとまるのだが、この一首、歌としてのつくりはとても粗いと思う。まず、上に記した、藤棚のように暮れる、と用言に係っていく構造は、この一首においては読者に少なからぬ負担を強いると思う。初句で「藤棚」と言われれば、その字のとおり「藤色」を期待してしまい、それは夕空の色になじみやすいけれど(もちろん、オレンジ色のほうが親しいが)、具体物をとおして提示されたその色合いは、歌のなかですぐに追いやられて、枯れた茶色のほうが前景化する。そのプロセスは、直喩による単純な語構成や、夕空と藤棚の「むらさき色」ということにおける類似からは、かなり隔たりがある(だから、「ように」を正確に読んだつもりの僕のこの読みがそもそも誤りである可能性もある)。それから、今「具体物」と上に記したが、「藤棚」はあくまで喩として登場するのであって、そのモノとしての細部にはまるで言及されない。その「藤棚」も含めて、実はこの歌いかにも観念にまみれている。あえて伏せながらここまで書いたが、一首は「夕空」とはひとことも言っていないのだ。それはあくまでも「世界」なのである。「藤棚」の色合いと「暮れる」という語から夕空を仮定できるし、そのように読んで良いのだと思うけれど、この人はあくまで「世界」と言っている。空や街の全体を指して「世界」と言うことはもちろんできるが、これはしかし抽象的に、国々の衰退だとか世紀末的退廃だとかいった感じをも大きく想像させ得るものだ。だから、ここに夕空を想像するにせよ、提示された夕空の肌理はとても粗いと思う。低画素。細部は見えてこない。こまかいことだが、四句の八音も、ここでは間延びした、ちょっとたどたどしいような印象を与えるように思う。初句から二句にかけての句跨り、やう「に」と暮れてゆ「き」の母音の重なり、三句から四句への連用形を介した展開、「われには」が唐突に割り込んでくる感じなども、(田村の歌にしてはめずらしく)雑然とした感じがある。

 

そういったすべてをひっくるめて、だからこそ、僕にはこの歌が気になってならない。いかにも「遠い」のだ。「今」に実感を持てず、周囲を観念的抽象的に「世界」ととらえ、「過去」を志向しているこの感じ。暮れていくようす(あるいはその色合い)を、細部を捨てられた「藤棚」としてのみとらえるこの感じ。「過去」も「世界」も遠い。みずからの観念だけがぼんやり外部と交わっている。眼差しは粗く、ほうっておけば〈今ここ〉の実景に、今ここにはない「過去」が押し寄せ、混じり込んでくる。夕空がたやすく「世界」という大きな観念に転換される。退廃の雰囲気が混じる。「藤棚のやうに世界は」と、理性的に認識しているような体裁をとりながら、すでにその時点で「世界」が遠い。この歌には〈今ここ〉が見当たらない。〈今ここ〉がないという時点で、生きる主体としての身体は消えている。しかしそのような〈今ここ〉を生きるしかない。かなしい歌だと思う。

 

あらがひて天へと還るひとひらもなく折り紙の銀に降る雪
橋はもう舞台ではなく木枯をわれを子犬を渡らせて行く
蓋のない記憶と思ふ 菜の花の瓶詰めにぽんと山の香がして
目覚ましが昼に鳴つたり官庁の廊下の奥で猫が鳴いたり
疲れたら野菜売り場にやつて来て色とりどりを眺めたらいい

/田村元『北二十二条西七丁目』