染野太朗


シラバスの重さなつかし学生が春のベンチで履修に悩む

永田紅『春の顕微鏡』(青磁社、2018年)

 


 

一読したとき、結句でちょっと笑ってしまった。もちろんそれは冷笑とか嘲笑とかの類いでは決してない。学生の様子が、結句で突然リアルに見えてきて、悩んでいるようすそのものがデフォルメされているように思えてしまい、なんだかほのぼのとして笑ってしまったのである。でも、改めて一首を読んでみると、笑う、という感じはあまりない。「なつかし」と春のキャンパスの質感にこそこの歌の眼目はある。どちらかと言えばのどかな感じであって、笑うような一首ではないように思う。では僕はなにに反応して笑ったのだろう、と考えて、結句で「突然リアル」に見えて、というところが原因なのかも、と思い始めた。うまく説明できる気も共感を得られる気もまるでしないのだが(つまり僕のまったくの誤読の気がするのだが)、以下にすこし説明してみます。

 

今日の一首、短歌として非常にわかりやすい構文で作られていると思う。二句切れの「なつかし」から反射的に石川啄木の〈ふるさとの訛りなつかし/停車場の人ごみの中に/そを聴きにゆく〉を思い出してしまったが、ただ、これを今日の一首の本歌のようにして読むのはやや強引だとは思う。けれども、二句切れの「なつかし」が啄木の一首と通じるというのはとても象徴的、と感じる。それくらい今日の一首は「短歌」的だと思うのだ。

 

まず五七五七七の定型が、句割れ句跨りなく、つまり音の切れ目と意味の切れ目にズレのないままシンプルに使われている点、また、上の句で思いを述べ、その思いを喚起した景として下の句が添えられるという構成が、いかにも「短歌」であることを感じさせる。それから、「シラバス」は実際にはその内容こそが必要とされるものだけれども、生活の断片としてとらえたとき、その体感上の重さのほうが記憶として刻まれているという点も、感受としていかにも「短歌」だと思った(もちろんこの「重さ」には、学生にとっての「負担」や学問的な「未知」ということも意味としてかさねられているとは思うけれど)。また、「ベンチ」を形容する「春の」も、季節が「春」「夏」「秋」「冬」のまさにその語でもって直接示される点や、それが「履修」の時期であるということを伝えながらいわゆる春の「質感」をも一首にもたらす点も、「短歌」としてとてもオーソドックスだと思う。視野のうちに「学生」を置き、その「悩む」という様子を一首の景としてひとつ固定しながら、一方でその景を俯瞰し、みずからの「なつかし」という思いと春の質感によって一首を包み込むありようも、たいへんにかっちりとして、短歌の論理・理屈としてわかりやすい。その上で、音の構成や助辞の使用(仕様、とも言えそうだ)においても、わかりにくいところはいっさいない。あえて言うなら、履修「で」とか履修「を」でなく、履修「に」という助詞で処理されている点も、丁寧な韻文の方法としてオーソドックスだと思う。

 

それでまず、こういったことを考え、それをここに言語化しようとしてしまうという点において僕は、「自分はかなり『自分の内側に蓄積された短歌的なるもの』によって照らしながらこの一首を読んでいるのだな」ということを思った。一読者としてそう自覚した。これは僕のごく個人的な感覚なのだろうなと思う。

 

ここからまた説明がとてもむずかしいのだが、その、「短歌」の構文としてオーソドックスであるということがメタ的にひとつの修辞となって、一首の描く状況を、むしろ希釈し、「履修に悩む」より前の情感を背景として後ろに沈めており、この一首独自の場面である「履修に悩む」の色がそれとのコントラストで濃くなっている、ということはないだろうか。希釈している、と考えるのは「短歌」の読みを意識しすぎている僕独特のものだと思うけれども。短歌としてものすごく安定した枠組みのなかにあるからこそ、素直に「履修に悩む」のほほえましさに読者として反応できた、という感じがしたのである。結句にきて「突然リアル」に見えた、というのをあえて言語化するとそういう感じ……なのだが、書けば書くほど違う気がしてくる。

 

とんちんかんなことを言ってしまったことに対するフォロー、ということでは決してなくて最後に付け加えておきたいのだが、『春の顕微鏡』という歌集において、方法や修辞の面で上に記したようなことはむしろ例外であって、自在さや風通しの良さをこそ多分に含んでいると思う。歌の見せる景や感情、思考に独特の厚みがあり、その厚みの質をこそ話題にすべきだろう。ここでは最後に、ほんの少しだけ他の歌を引用して(「あとがき」によればこの歌集の収録歌数は676首である)、詳細はまた別の機会に書きます(『遠くの敵や硝子を』につづいて二回目、ごめんなさい)。

 

褒めたかりしが言葉をもたず別れたり白き花まわりたり落下するとき
布団そのものが眠りているような完全な冬われは好きなり
夕暮れがいちばんいけない 煮炊きして待ちいし人の心に近づく
もう少しすれば時間ができるから そうやっていつも過ぎゆくものを
釣り糸を垂れて涙を待つような秋の日があり冬の日となる

/永田紅『春の顕微鏡』