北沢郁子茱萸ぐみに似る木の名調べむと言ひしまま人は逝きたり未だ知りえず

北沢郁子『満月』(不識書院:2017年)

北沢郁子は1923(大正12)年生まれ。昨年九月に95歳で亡くなられた。
『満月』はその最後の歌集になり、あとがきには「自分の手で纏められたことを有難いことと思っております」と書かれている。


 

知人友人が亡くなってゆく歌は、作者の年齢とともに増えてゆくことは自然のことで、
北沢郁子歌集『満月』にはそうした歌が非常に多いのだけれど、それらの歌を見ながら、
そこに、悼みとか、偲ぶとか、そういった、挽歌のパターンから少しずつはみ出す、北沢郁子の生きている側の人間の「気持ち」というものが妙に正直に語られていることが、なんともいえない気持ちにさせられた。

 

・集めたる資料見せずと言ひ張りてまなく逝きたり無念なりしか

 

たとえば、この歌、資料を誰にも見せない人だったのか、ともかくも、北沢さんには見せてくれなかったのか、そのあたりの事情は見えないが、「言ひ張りて」という言い方は、いかにも自分の説得に応じなかった人に対するこちら側の「気持ち」というものが働いている。

 

そして、その人は言い張ってのち、わりとすぐに亡くなった。
自分としては、もはやできることもないし、「無念なりしか」と思うのみである。
「無念ならむよ」とか「無念思ほゆ」とか、そういう相手の心に踏み込むような言い方をしない。
「無念なりしか」はあくまでも、自分だけの独り言であり、それがさびしくひびく。
人に最後まで心を許さなかった人に対する、こちらからの距離が仕方なくある。

 

この歌を、もっと挽歌のていにととのえることはいくらでもできると思う。
たとえば、「集めたる資料を人に見せずして逝きたりし人の無念思ほゆ」とか、全くいい歌ではないけれど、つまり、ちょっと過去の助動詞とかできれいに死者を偲ぶ歌にすることは簡単なのだ。
けれども、北沢さんの歌というのはそうはならない。

 

そして、今日の一首。

茱萸ぐみに似る木の名調べむと言ひしまま人は逝きたり未だ知りえず

 

茱萸に似ている木の名を調べようと思っている。
と、その人は言った。それが、その人にとってどの程度大事なことだったかわからないけれど、とにかく、北沢さんとの会話の中で、そう言っていた。
そして、その人は北沢さんにそう言ったまま死んでしまい、北沢さんは未だに、その木の名を知り得ない。

 

もう、その人に教えてもらうことはできないんだなあ、という、
そういう偲び方は珍しくはないし、この歌にもそういう要素は十分に認められる。
けれども、この歌にはもう少し複雑な人間の心理のリアルみたいなものがにじみ出る。

 

北沢さんは、その木のことが実際に気になっていた。
「茱萸に似ている木ってなに!?」と、その時、顔には出さなかったかもしれないが、
かなり思っていたのである。あるいは、相手の「調べむ」と言ったときの興味の在り様に、北沢さんも、刺激され感化されたのかもしれない。だから、耳ざとく覚えている。

 

「言ひしまま」という言い方は、この歌の場合とても主観的に働く。
それを聞いたときの北沢さんの期待がそのまま残されている。
そしてだから結句「未だ知りえず」には、その人が亡くなってしまったことよりも「知りえなかった」ことのほうが重要なような、印象を与える。

 

ある意味で現金な感想がここにはある。
生き残っている北沢さんのほうは、未だに知りたい。
という、こちら側の「気持ち」がそのままここにある。
それは、どこか人の死に対し身も蓋もない印象を与える。

 

でも、それは相手の死を悼んでいないということではない。
年老いてくると、人と会う機会も話す機会も減ってしまい、年中会っていたような人でもいつか関係が淡くなり(ということが北沢さんの歌集からは如実に伝わる)、
相手との関係はついに、「茱萸の木に似る木を調べようと思っている」と言っていた、その結果を聞きたいという、ピンポイントの些事のみが残される。
そして、この「知りたい」という小さな欲望が、一人の暮しのなかでとても大切になる。

 

死んだ側も生き残った側も、残すものはほんのわずかであることの、身も蓋もない事実が、それでもまだ生きているものの「未だ知りえず」という、今も気になっているつぶやきに、際立つのである。