生沼義朗


平山公一/現在(いま)の世に百グラム四円で買へるものH形鋼、異形棒鋼

平山公一『鋼』(いりの舎・2018年)


 

歌集名は「かう」と読む。作品は平成8年から約10年間の作品を収める。作者の平山公一は大手製鉄会社に勤務するいわゆる鉄鋼マンで、その矜恃を感じるタイトルだ。

 

H形鋼は主に建築物の柱や梁などに使われる、断面がH形に成形された鋼材のこと。異形棒鋼は建物の構造用材料のひとつで、鋼を圧延して表面に凹凸の突起を設けた棒状の鋼材。突起があるため丸鋼に対して異形と呼ばれ、さらに棒状の鋼のため異形棒鋼と呼ばれている。

 

鉄鋼を商う際にコストや原価を意識するのは社会人として当然のことなのだが、実際の取引はトン単位だろうから、理論上かもしれないが100グラム単位で提示されると(しかも4円)、やはり軽い驚きがある。もちろん作品としてはそこに異化が生じ、一首の読ませどころになっている。

 

『鋼』の特徴のひとつに記録性が挙げられる。収められている10年弱の時間を平山は東京で勤務した。その間にあった、仕事や家族をめぐる大小様々な出来事を丹念に作品化し、歌集に収める。しかも収められている歌は、どれも一読して歌意が明瞭で読みやすいため、過ごした時間の流れが手に取るようにわかり、まさにスナップを集めたアルバムの様相がある。また、すべての歌に前歌集から続く通し番号が振られ、巻末に初出一覧が掲載されているのも、全歌集などを除くとめずらしい。こうした点にも、平山が歌集を編む行為に記録性を意識していることが察せられる。

 

記録性と言うと単なる日記や自分史と同列に思われてしまうかもしれないが、そうではない。自分の生きた証を残しておきたい欲求は理屈ではなく、人間の生理のようなものだ。自分の生きた証なんか残したくないという人もいるだろうが、それも反作用であって原理は同じである。その意味で、記録性は立派な作歌動機である。もちろん動機と作品の出来具合はまた別の話だが、平山の作品は平易な文体でありながら、その勘所をクリアしている。題材の面白さもあるが、歌にする事物を選ぶ眼が鍛えられているからだ。

 

『鋼』は、一人の作者の人生を身辺詠という形で忠実に作品化することで、その人のかけがえのない作品世界を具現化した点で手本のような歌集である。現在、短歌のシーンはいい意味で拡散し、複雑に拡充しているが、こうした作品のあり方も一方の核として間違いなく残ってゆく。身辺詠は短歌のもっとも得手とする領域であることをあらためて感じた一冊でもあった。