中野照子/きみを葬るしろき広場に寒風(かんぷう)吹きさらわれてゆく雪の上の雪

中野照子『秘色の天』(短歌新聞社・1992年)


 

初句の「きみ」は、中野照子の師匠筋にあたる前田透を指す。中野照子は前田夕暮創刊の「詩歌」で作歌を始め、米田雄郎にしたがって夕暮没後の1952(昭和27)年に「好日」の創刊に参加した。前田透は言うまでもなく前田夕暮の長男である。なお、前田透は1914(大正3)年生まれ、中野照子は1927(昭和2)年生まれで、13歳離れている。

 

掲出歌は、前田透の葬儀に出席した際の歌。前田の死の経緯については前回述べたので繰り返さないが、逝去の3日後の1984(昭和59)年1月16日に東京・四谷のイグナチオ教会で葬儀のミサが執り行われた。その葬儀に、中野は京都から上京して参列している。

 

中野照子の著書『中野照子集 自解150歌選』(東京四季出版・2004年)には、掲出歌の背景として「教会の前の広場は吹きさらしで白雪が舞っていた」と記されている。掲出歌に眼を移すと、「きみを葬るしろき広場」は事実を述べたものであり、状況説明の描写であるだけでなく、カトリック教会の厳粛さや参列者の索漠とした心情までもがよく表れている。

 

三句以下も、積もってもおかしくないくらいに勢いよく雪が降っている様子がよくわかる。東京では珍しい。その雪がはっきりと積もる前に寒風が雪をさらってしまう。風にさらわれるくらいだから、湿った雪ではなく、さらさらの雪だろう。そこから外気温が相当低いことも推測でき、寒さがあらためてよく伝わってくる。もちろんこの寒さには作者の心情も投影されている。

 

ふたたび『中野照子集 自解150歌選』によれば、前田透の葬儀の際に渡された印刷物には、前回取り上げた

 

わが愛するものに語らん樫の木に日が当り視よ、/冬すでに過ぐ

 

が記されており、中野は「この一首を読んだ私は、あふれる涙を止めることができなかった」という。ちなみに、多磨霊園の前田透の墓所内には、上記の歌が刻まれた歌碑が建っている。