花山周子


椛沢知世
水着から砂がこぼれる昨年の砂がこぼれて手首をつたう

椛沢知世「切り株の上」『歌壇』2019年2月号


 

・水着から砂がこぼれる昨年の砂がこぼれて手首をつたう

 

「水着から砂がこぼれる」と言われたとき、海からあがって、まだ海の熱が身体に残っているような感覚を思う。それが「昨年の」と言われたとき、なにかとても強い印象を受ける。そして「砂がこぼれて手首をつたう」には、初句にあったような熱はとっくになくなっていて、冷たい。一首のなかに不思議なほど鮮明な時間の経過があって、「昨年の」という時間を指した言葉にだけ強く感情が刻印されている。

 

水着から砂がこぼれたことだけを詠っているのに、一首の隅から隅まで丁寧な眼差しがあって、歌は少し窮屈な印象すらある。そしてその窮屈さに、妙に心打たれる。

 

この歌は、三十首連作「切り株の上」の冒頭歌であるが、一連の歌、すべてが、このように、すみずみまで、心を込めてつくられている。

 

・冬の肘のかさつきに似た陽を浴びて広場の鳩にパンくずをやる

 

そしてこれが一連最後の歌。
ざらついた白い陽射しなのだろう。
でも「冬の肘のかさつきに似た」という比喩はとても硬くて、比喩としてよりもその硬い肘を思う。歌が緊張している。だから「広場」という広い場所のなかで、「パンくずをやる」はとても小さな動作である。

 

人にはそれぞれのスペースというようなものがあるけれど、椛沢さんの歌に感じられるスペースはとても小さい。そして、その小さなスペースをとても大事にしている。「パンくずをやる」という小さな行為が、それだけで、世界に対する心のこもった行為になっている。