生沼義朗


文献のコピーを取れば海溝のようにインクの黒くあるノド

二三川練『惑星ジンタ』(書肆侃侃房・2018年)

 


 

二三川練(ふみがわ・れん)の『惑星ジンタ』は第一歌集。書肆侃侃房の新鋭短歌シリーズの44冊目で、2013年5月から2018年10月までの歌から294首が収められている。

 

寝たふりをしたまま見えた夢の空をしずかに満たす水銀の雨
プレス機がドールを潰す一瞬の命にふさわしい破裂音
捏ねてゆく挽き肉のつぶ粗々と嫌いな人を嫌える僕だ
その骨が喉仏だと知るときの遺族それぞれの吐息 木星
ふれるたび低体温を自覚する 人間らしい口づけをして
均等に重さがいっているはずのリュックでいつも左が痛い
病院は白き匂いで充ちているヒトのにおいをかき消すために

 

二三川の作風は、空間的な広がりや幻想的な味わいを持つスケールの大きさと、日常の裂け目に詩を見い出しているオーソドックスなたたずまいが同居している。しかもその振幅をあえて使い分けることなく、歌集の中において異なる要素を自在に行き来している印象がある。

 

タイトルの『惑星ジンタ』は、あとがきによれば「ずっと僕のなかにあるフレーズ」らしい。「ジンタ」は、明治時代中期から昭和初期にかけて存在した民間のオーケストラである市中音楽隊の愛称で、演奏を模した擬声語が由来とされている。不思議な響きを持つ、レトロでありつつ幻想的な味わいと空間的な広がりを持つ「惑星ジンタ」という言葉は、二三川にとって抽象具象を包括するものなのではないか。

 

掲出歌は、先程の自分なりの分類ではオーソドックス寄りのもの。巻末の略歴によれば二三川は現役の大学院生なので、おそらく大学の図書館だろう。必要な文献のコピーを取ったら、原本を読んでいるときには気がつかなかった、本のノドの部分にあるインクの黒いシミを見つけた。「ノド」は出版用語で、本を見開きにしたときの綴じ部分を指す語である。ページ数が多くなるほどノドの部分は見えにくくなるので、相当分厚い本だったろうことも察せられる。

 

三句から四句にかけての「海溝のように」という直喩は掲出歌の眼目だが、一見ベタな喩と感じる読者もいるかもしれない。だが、図書館特有の静謐な空気や先の見えにくい研究生活など、とりまく環境を簡潔に表現している。下句の「インクの黒くあるノド」の「黒」とも効果的に響く。

 

 

どの人もばれないように飴玉を口に含んだままここにいた
少しだけ箸でつついたハンバーグのなかにはチーズという日常が
していたいしないでいたいしなないでいたい 紡錘形の心臓

 

 

これらの歌からは中澤系の影響を見て取る。他者の影響を受けない若い作者などまずいないだろうし、さらに口語で短歌を紡ごうとする場合、先行する誰にもまったく似ないのは至難の業とも言えるので、これを現時点で批判する気はない。

 

要は、そうした他者の影響を今後いかに自分の血肉に変えてゆくかでしかない。二三川がその自在さを活かして自分の文体を深化してゆくことを期待している。