それらしくソックタッチと称すれどふくらはぎへと塗られしのり

淀美佑子『ツガイムスビ』(笠間書院)

もうないもののことを詠った歌は貴重であると思う。この一首に詠まれた「ソックタッチ」も令和のいま、おそらくどこにもないのではないか。思えば平成にのみ存在したアイテムで、しかもそれを使うのはハイソックスを履く中高生。当事者でなければ当時ですら、ソックタッチを知らない人は多かったかもしれない。

掲出歌のひとつ前には〈女子校の教室せまし頑なにルーズソックス拒みしわれに〉とルーズソックスの歌があることから、もとはおそらくルーズソックスがずれて下がるのを防ぐためのアイテムであったと記憶する。私が学生の頃にはルーズソックスブームはもうほとんど下火だったけれど、紺のハイソックスも同じようにずるずる下がるので、ソックタッチは現役だった。ちゃんと覚えてはいないけれど、たしか靴下のほうに塗っていたような気がする。けれど、それでも下がってきたりするともう構わずにふくらはぎにぐりぐり塗った覚えもある。そうすれば靴下はもうかんたんには下りてこない。

「塗られし糊」というのが効いていると思う。ぐりぐり塗りたくったのは自分だけれど、自分で塗りながら、そのふくらはぎのひと周りにはソックタッチの糊が「塗られ」ている。一日履いた靴下を脱ぐときにびり、とかじっさいに音がしたのかどうか、その感触ももはや覚えていないが、それで肌が荒れるとか痒くなるとかいうことはなかったから、糊だけれど、もちろん肌に触れることを考慮されていたのだろう。

けれど、翻ればやっぱりそれは糊だった。靴下の質によっては、繊維のようなものが糊に付着して、ふくらはぎにはうっすらと紺色の線が残った。なんとしてもルーズソックスやハイソックスをずり下げまい、という前のめりな意識の裏側には、身も蓋もなさというのか、露骨さがあって、けれどそのあけすけさというのか、明るさがいいなと同時に思いもする。

それはいつも制服のブレザーのポケットのなかに入っていて、手持ち無沙汰に突っ込んだ指先で触れていた、リップクリームよりは太く、それこそスティック糊よりは小さく、あの大きさは唯一無二の、ソックタッチの大きさだったのだな、ということを懐かしみながら思い出している。

デルヴォーの女のように真っ直ぐな裸身わたしはきみの現実

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