真中朋久/山越えの風にふるへる大枝を寒の夜尿(ゆばり)しつつ思ふよ

真中朋久第一歌集『雨裂』(雁書館・2001年)


 

・山越えの風にふるへる大枝を寒の夜尿(ゆばり)しつつ思ふよ

 

文体にしびれる。「尿(ゆばり)」は単に「尿(にょう)」の古語であるという以上に、ほとばしる水の勢いを感じさせ、「かんのよゆばり・しつつおもふよ」という句跨りによって、歌の調子は「尿」で一旦切断され、印象強く、力強くひびく。尿が地面にほとばしる震動さえが、山越えの風のただなかにあって、体感されるようである。「山越えの風にふるえる大枝」は真中の頭に思われているものであるけれど、まさにこの歌の現場にもなっているのだ。

 

この歌は、真中朋久の第一歌集『雨裂』の冒頭歌である。第一歌集の冒頭歌に「尿」の歌を置くというのは、他に例を見ないのではないか。そして、けれども、この歌集においては、最初からそれが突飛な印象を与えない。この歌において「尿」という素材は、まるで山水画の「滝」のような趣を有しているのである。

 

タイトルの「雨裂」とは、「雨水が地表を穿ってできる深い溝、さらにそれが大きくなった谷のこと」(永田和宏解説より)で、集中では「細流(リル)あつめ雨裂(ガリ)ひらきゆく源頭に降るみづの音待ちてゐるなり」と詠われる。(※歌では「ガリ」と読ませているが、あとがきでは「歌集表題としてはとくに訓みの指定はしない。私自身は「うれつ」のつもりである」と書かれている)

 

真中朋久は当時、日本気象協会に勤務し、気象、地質などの実地の調査も行っていたようだ。特殊な仕事である。それにしても、『雨裂』の歌歌には、自身の行動や体感が歌の文体を通して天候や気象そのものと鋭く交わっているような真中朋久独自と言っていい臨場感がある。

 

私には、この「尿」もまた、「山越えの風」のただなかに流れる「雨水」として、それが地面にひびき「雨裂」を生んでいくようにさえ思われるのである。

 

次回、もう少し『雨裂』の歌を紹介するかもしれません。(未定)