生沼義朗


井上雅史/七年を経た仙台の地下鉄の通勤客にスニーカー多し

井上雅史「雪玉」(塔短歌会・東北「2566日目 東日本大震災から七年を詠む」・2018年)


 

言うまでもなく3月11日は東日本大震災のあった日だ。あれからもう8年となる。早いものだ。

 

「2566日目」は、2018(平成30)年7月に刊行された、塔短歌会の東北に関係する有志による震災を詠んだ冊子の8冊目だ。2011(平成23)年3月11日の東日本大震災から7年の歳月を見つめて詠まれた作品にはいずれも立ち止まらされる。

 

「2566日目」には、各人の作品に300字ほどの文章が付されている。それによると井上雅史は1年前から仙台市に在住していて、「震災の影響を強く受けた人が、より身近にいる環境になったのだと思う。普段はそれを意識することが無いのだが、ふとしたきっかけでそれに気が付く。つまり、目の前にいる人が、被災者ということに。震災のことなどを忘れて気楽に生き、話していても、ふとしたきっかけで人を悲しませたり怒らせてしまう可能性があることに動揺する。」という文章には深く考えさせられた。

 

掲出歌は嘱目詠の形を取っていて、大震災から7年が経った今でも仙台の地下鉄の通勤客にはスニーカーを履いた人が多いという事柄を淡々と詠む。もちろんその理由は、ふたたび大きな災害が起きたときのためであることは疑いようがない。一見何気ない現象のようでいて、その奥に大震災がおよぼした影響の大きさがまざまざと横たわる。

 

 

いざというとき駆けあがって逃げるため「坂」を名に持ち吾は生きおり  逢坂みずき

 

 

逢坂みずきは宮城県女川町出身で、現在は仙台市に在住している。東日本大震災は地震そのものだけでなく、その後の大津波、さらにその津波によって引き起こされた火災がより甚大な被害をもたらした。あの日、津波警報によって高台に避難した人も多かったはずだ。もしまたふたたび大きな地震があったときは、同じように坂を駆け上がって避難するだろう。そうした重い体験がもたらした感慨と、自分の名前にあらためて自覚される矜恃が一首の中で結びついている。

 

ここから自分語りになることをお許し願いたいが、2011年3月11日はまだ東京・練馬の実家住まいで、その日は家で仕事をして夕方に打ち合わせで都心に出る予定だった。出かける直前にあの地震があった。木造の家が音を立てたので最初大風かと思ったが、すぐに地震とわかった。とにかく長い地震で、さすがに揺れが1分を超える頃でただごとではないと思いテーブルの下に潜ったが、やがて棚の上の物が落ちてきた。地震がおさまり、とにかく打ち合わせに向かおうとしたら、玄関にあった壺が粉々に割れていた。とりあえず最寄り駅まで行ったが、鉄道は全線ストップで駅にも入れない。駅前のロータリーには駅から追い出されてしまった人が多数たむろしている。先方には携帯からではなかなか電話が通じず、自宅に戻って電話してようやくつながった。もちろんその日の打ち合わせは延期になった。自分はこの程度だったが、まだ結婚前だった妻はその日は帰宅できず、会社に泊まったことを翌日メールで知った。

 

自分や妻の体験が東北各地で被災された方々とは比較にならないのは言うまでもない。ではなぜこのようなことを書いたかというと、震災をどのように経験したかは人により違うということだ。日本人全員が東日本大震災を経験したわけではない。それは阪神大震災でも2016年の熊本地震でも同様である。つい人間は同じ(と思える)出来事を比較してしまいがちだが、それは本来するべきではない。だが、人は自分の経験をもってしかなかなか語れないのもたしかだ。もちろん、そのことと他者の体験した出来事に思いや想像を馳せることはまた別の話である。

 

自分は、東日本大震災によって人間とはもともと別々の存在だとあらためて気づかされた気がするのだ。だからこそ震災に限らず大きな経験を詠む意味があって、「2566日目」のような本の意義と価値は、個々の体験をおのおのの立ち位置から集積させるところにある。