日々のクオリア
金野友治 2013年作 『震災のうた―1800日の心もよう』(河北新報・2016)
前回、日付というものがどれほどの意味を持つのかわからない、と書いたのは、たとえば、3月11日が、毎年毎年、点のように存在しているわけではないということだ。あの日以降、今に至るまで続く八年の時間があることを、3・11という数字で示すときに、あるいは失ってしまう可能性もあると思う。それでも、仕方ないところもあって、私自身、三月十一日を迎えて、こうして、震災の歌を取り上げているわけであるし、そのような節目の日が必要な面は確かにある。けれども、三月十一日が、震災を思い出す恒例行事のようになってしまうには、まだまだ早すぎると思う。そんな気持ちから、あと何回かは『震災のうた―1800日の心もよう』より、この集が含む五年間の時間の厚みの中から、歌を紹介していきたいと思う。
・田も畑も見渡す限り沼となり遺体浮く見ゆ三月十二日
今日の一首には、「三月十二日」という日付が見える。震災の翌日である。震災当日には、何がどうなっているのか、現地にいる人さえ、その全容はまったくつかめていなかった。家族や自分の家が無事なのか、どこまでが、どのような被害を受けているのか、そういうことが、次第にわかりはじめるのは、多くの人にとって翌日からのことであっただろう。その翌日の津波の引いたあとの光景が静かに詠まれている。家は流され、田や畑が見渡す限り沼になっている。遺体が浮いている。現実とも思えないような光景が、淡々とした叙景歌として詠まれている。
この歌が私の印象に強く残った理由の一つに、この歌が2013年に詠まれているということがある。作者の金野友治さんの作品は、『震災のうた―1800日の心もよう』のなかに十二首収められていて、
いずれも、抑制された写実描写が印象的な作品で、自身の状況や思いなどは一切語られない。そのために、集のなかにあっては、目立たないほど静かな佇まいをしている。殊に、2011年から2012年にかけての作品は、ほぼ瓦礫のみが詠われていて、「五百台の被災のバイク」「二千個の便器」「五六台の重機」など、そうした具体物が齎す殺伐とした風景の中に、「大量の泡浮く」、「湯気立ち上る」、「潮の香匂う」、「ほたる飛ぶ見ゆ」など、自然界の現れがかすかな慰めのように見出されている。震災以降の風景に向けられた作者の眼差しが何首も読むうちに、ひとつの営為として骨格として立ってくるのである。そして、2013年に「野良猫」という生き物が登場し、その次の歌が、今日の一首になるのだ。
・田も畑も見渡す限り沼となり遺体浮く見ゆ三月十二日
この歌は、あたかも現在の景として詠まれている。そして、これまでの金野さんの叙景歌と詠み比べるとき、それらの歌では、「まだ沖に」、「吹く風は涼しくなれど」など、時間の経過のなかでその時々の風景が刻印されていく印象があるのに対し、この歌だけが、忽然と「三月十二日」という場所にずっと存在しているような印象を受ける。おそらく、作者が2013年に至るまで詠えなかった光景であり、その間、変化する風景のなかに、作者がずっと見ていた光景でもあったのではないだろうか。「見ゆ」と詠われているのは、今もその光景が見えているのである。
以降の歌には、被災地に佇む人の姿が、印象的なスケッチとして捉えられている。
前回、『震災のうた―1800日の心もよう』には「決して一様ではない一人一人の震災後の時間が平行して流れている」と書いたけれど、金野友治さんの歌では、寡黙に写実に徹しているからこそ、被災地の風景の変化に付随する作者の眼差しの変化が五年という時間を通して静かに刻印されているのだと思う。