紺野裕子/たれかれの消息にはなし及ぶとき放射線量つもるふくしま

紺野裕子『窓は閉めたままで』(短歌研究社・2017年)


 

前回に引き続き、東日本大震災に関連する歌を取り上げる。言うまでもなく、2011(平成23)年の東日本大震災によって引き起こされた福島第一原子力発電所の重大事故も東日本大震災の一環である。

 

紺野裕子は高校卒業まで福島市で生まれ育ち、以後は現在まで首都圏に在住しているが、紺野の両親は福島第一原発事故の少し前まで福島に暮らしており、事故の2ヶ月後に母親は亡くなり、その2年後に父親が亡くなったという。歌集名は、福島の原発事故後に帰宅困難地域の大熊町を通過する際は、窓は閉めたままでいなければならず、警察官が3人一組で監視に立っている。その現実を記憶するために集題にしたとあとがきに記す。

 

掲出歌は、歌集中ほどにある「1F」一連16首の6首目。「1F」はもちろん福島第一原発の略称である。平易な語り口で語られているが、奥に重大な事実とそこから目を逸らさない、逸らすべきではないと強く思っている作者像が浮かんでくる。「たれかれ」は古くからの友人知己だろう。「およぶとき」は、厳密に言えば福島に放射線量が積もるのは四六時中だが、知り合いの消息に話がおよんだときにあらためてそれを認識し、放射線量が積もってゆくふるさとの風景を思い浮かべたのである。漢字とひらがなのバランスも気が配られている。

 

 

キャラメルの紙を小さくたたみをり些事のひとつに捉はれながら
絵葉書にみぎへきみの文字はるのはやてに解かれさうなり
一周忌をいかにせむなど妹とはなす窓べに水仙にほふ
瑞龍寺の大黒さんは印字するごとくに一語一語をはなす

 

 

「1F」の1首目から4首目をそのまま挙げてみた。最初の2首は一見日常詠なので、かならずしも福島の事故のみを取り扱った内容ではないが、日常の小さな出来事とそれにまつわる感興を丁寧に描いている秀歌である。

 

3首目と4首目は一転して、亡くなった家族の法事という誰にでもある行事にさえも、福島の原発事故がどれだけ日常に不安をもたらすものだったかが伝わってくるし、同時に事故に対する客観的な視座を確保している。もちろん、作品自体はその背景を知らなくても読むことはできるが、先に記したような背景を知っているとより作者の困惑としずかな怒りにまで届く。3首目の「一周忌」は父母どちらのものかや菩提寺の所在地などははっきりわからないが、そこは読者は想像すればよい。「水仙にほふ」という収め方は賛否の分かれるところかもしれないが、対象と作者の微妙な距離感を暗示するものとして、この結句は効いていると思う。4首目の「大黒さん」はお寺の奥さんのことである。三句以下の「印字するごとくに一語一語をはなす」に出来事の大きさや時間の推移などの重い要素を感じ取ることができる。

 

 

ふくしまの止むことの無き喪失をわが身のうちにふかく下ろさむ
国道より見の限りつづく黒き袋はち切るるまで汚染土詰まる
屋外のあそび止められ育ちたる子ども小学校を卒(を)ふる歳月
廃校の体育館の高窓に褪めたカーテンはためきてをり
家畜にはあらずペットにもあらず生きのびた牛草食むをみる
後部席に線量計はふり切れぬ原発へ一・五キロの辻に
一時帰宅の町民のため水とトイレ用意して待つプレハブがある

 

集題ともなった「窓は閉めたままで」一連15首から抄いた。どの歌も事実の重さと的確な描写力が釣りあっている。現在でも、福島第一原発のいずれの炉も廃炉の途上にあるが、使用済み核燃料の除去を必要とするため、見通しが立っていない。

 

紺野はあとがきに「私はといえば、自然環境と生きものに甚大な影響を及ぼすであろう放射線量の高さに目を奪われ、宮城や岩手の被災地を訪ねたり、ボランティアに参加することはなかった。心がけて読み、見ていたにすぎない」と記す。距離感を保ちつつ、しずかに記録された作品群には、当事者からの声とはまた別の意味がある。