庄司邦生/濁流に胸まで浸かり年金証書頭に載せてひたすら逃げる

庄司邦生 2011年作 『震災のうた―1800日の心もよう』(河北新報・2016)


 

石巻の庄司邦生さんの作品は、『震災のうた―1800日の心もよう』に十一首入っている。

その最初の歌が、

 

・濁流に胸まで浸かり年金証書頭に載せてひたすら逃げる

 

津波から逃げる際の具体的な行動が印象的な歌だ。「年金証書」からは作者が高齢者であることがわかる。「年金証書」なんて、落ち着いて考えれば再発行できるものを、それでもその時は、生活の糧として一番守るべきものとして、頭に載せたおじいさんが、まさに火事場の馬鹿力で胸までの高さの津波をひたすら逃げる。その必死さが言葉に勢いを齎しているだけでなく、このように人間の必死さが客体化されるとき、どこかあっけらかんとした滑稽ささえ感じさせる。まだ、その後のことが何もわからない、逃げることだけが念頭にあった3月11日の、その時、その場の歌である。その後、2011年には以下のような歌が詠われている。

 

・三日ぶり息子の無事を知りしとき振りさけ見たる空青かりき
・津波引き泥より出でし蕗の薹そこのみ春かみどり鮮(あたら)し
・この人も無事だったのかと擦れ違うしばらくぶりの朝の散歩に
・「がんばろう」「強い日本」くりかえしテレビは言うがどうすりゃいいの
・そのむかし蝿とりリボンを使いしはいつ頃までか きょう買い求む

 

三日ぶりに息子が無事に帰ってきたときの「空青かりき」、津波の引いた泥に蕗の薹を発見したときの「みどり鮮らし」、ひさしぶりの散歩で「この人も無事だった」と知ったこと。いずれも、よかったこと、よろこびのほうが発見されてゆく。震災直後の興奮が、どこか文体にも感じられるようで、生きていることのありがたみが感受されているのだ。けれども、その次の歌は違う。「どうすりゃいいの」は一見すれば、ちょっととぼけているような軽い印象も受ける。これは定型に言葉をはめたがために出てくる印象でもあるだろうし、この時点での、作者が気持ちを作品化するときのスタンスでもあったのではないか。重くし過ぎずないように、他人をディスらないように、少しユーモラスに「どうすりゃいいの」という心情が吐露されているのだ。こういうところ、東北の人らしいなあと思う。

そして、

 

・そのむかし蝿とりリボンを使いしはいつ頃までか きょう買い求む

 

この歌では、「きょう買い求む」に現在の生活における実直さがあり、ずいぶん昔に使っていた蝿とりリボンを今現在使うことになったことの、その背後にある様々への深い思いがにじむ。その後、作者の歌が見えるのは、二年間の空白を経た2014年になる。

 

・逃げ遅れ一家絶えしか四度目の盆は来れど墓の荒るるは 2014年
・年ごとに二、三度は来し物売りの見えずなりたり震災の後 2014年
・震災に写真はすべて失えど夢にし見ゆる青春の日々 2014年
・地方紙を避難の友へわが妻の送り続けて四年(よとせ)となりぬ 2015年
・家々の跡に雑草(あらくさ)生いしげる土地の広ごり海につらなる 2015年

 

これらの歌では時間を経て意識される深い喪失が言葉の一つ一つに食い込むように感じられるのだ。年に二、三度来るだけだった「物売り」が来なくなったことにも思いが及ぶ。地方紙を避難先の友に送り続けてきた妻。自分たちの生活だってままならない時間であったはずなのに、四年間送り続けてきたことの、妻のその思い。「年金証書」を頭に載せてなんとか逃げ延びた作者のその後の時間、心情が思われるのである。