平出奔『了解』
初出は「Victim」短歌研究2020年9月号。そのころは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による緊急事態宣言のまっただなかで、コロナを歌にするか・あるいはしないか悩んでいた記憶がある。結局わたしはコロナを直接詠むことはなかったけれど「電車の窓が開いていた」というような風景の切れはしをいくつかの歌に残した。直接詠めなかったのは、自分自身を客観的に捉えられるほどの時間が経っていないからだと思う。親しい人とわたしの間でワクチンを打つか打たないかの考え方が異なり、相手の考え方を無理に変えようとして心に深い傷をつけた。コロナがなければ、と今でも思う。それまで自分の理解を超える問題には関わらないように生きてきたのだけれど、大人になると、大切な人を守るために向き合わなければならない問題が増えていく。
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歌の内容は「アレクサに新型コロナウイルスによる死者数の予測を聞いている」というわかりやすい内容である。2026年の今でもアレクサにはChatGPTやGeminiほどの対話能力はないので、実際に歌にあるような問いかけをしてみても期待する回答は返ってこない。歌の内容は時勢を色濃く反映しているが、もっとAI技術が浸透した近い未来の姿を歌にしているように感じる。「ねえ、アレクサ」と呼びかけるのも現実とは異なる。アレクサにはただ「アレクサ」と呼びかけるだろう。そういった脚色の意識を感じながら読むと、コロナ禍という現実を仮想現実の中の出来事のように捉えて歌にしている印象があった。
曲線は未来へ伸びて、| ねえ、アレクサ、何人の犠牲で済むか計算できる?
「|」で区切った前半と後半で言葉の向き先が異なる。はじめの「曲線は未来へ伸びて」の五音・七音は「うた」のフォルムをしており、独白としての語りとして読める。三句にあたる後半は、字余りから始まる破調となり、そこまでの独白を止めて「ねえ、アレクサ」と語りかける。歌の途中でアレクサに話しかけているような感覚になる。「何人の犠牲で済むか」十二音をへて、最後の「計算できる?」七音の定型感のあるフレーズに戻って結末を迎える。アレクサの回答をふまえた「曲線は未来へ伸びて」の続きがあるかもしれないが、歌の音数は問いかけで尽きている。
二句末の唐突な言葉の向き先の切り替えをもう少し深く読むなら、曲線がどこまでも伸びてゆく予感におそろしくなり、その思考を打ち消すために急いでアレクサに話しかけている、という読みができる。
2020年以降、ウクライナへの侵攻やガザでの虐殺が報じられるたびに「ねえ、アレクサ、何人の犠牲で済むか計算できる?」が頭の中で鳴っていた。かつてメディアのフィルターを介して世界の状況に触れていたころと比べて、SNSのタイムラインで現地の凄惨な様子を直接見られるようになった。スマートフォンの平面の画面をするすると画像が流れていき、現地の場にいない私たちはいつでも画面を閉ざす選択ができる。そして、画面を閉ざした後の世界を生き続ける。
画面の向こうの世界と距離を取ろうとして行動をしたあとの感覚が「曲線は未来へ伸びて」によく表されている。終わりの見えない戦争の死者の数が単純なグラフの「曲線」に変わる。露悪的にも見えるこの歌は「現実との遠さ」を〈リアル〉に読者に伝えて、読者に「現実との遠さ」を強く認識させることで、画面の向こうにある現実と読者を繋ぎ続ける。関係を切り結ぶ、というのが合っているだろう。
空爆によって殺害されたパレスチナの詩人リフアト・アルアライールの詩「わたしが死ななければならないのなら」*の冒頭にある「If I must die / you must live」の「you」を川野里子がこう読んでいる。
「you must live」の「you」とは誰なのか。〈略〉凧がこの詩人の魂であり、詩そのもの、さらにはそのような精神を象徴するならば、「you」とはこの死を受け取った全ての人でもある。〈略〉「あなたは生きねばならない」には「あなたも当事者だ」と名指す力がある。死ぬのではなく、生きて「当事者」になれと彼は私達に遺言したのだ。「must」の強さはそのためのものだ。
川野里子 「現代短歌」2024年7月号
タイムラインを、アルアライールの詩が流れ続ける。「you must live」のメッセージを受け取りながら、スマートフォンを閉じる。生活をしながら戦争を意識し続けるのは辛い。だから私は意識を切り替えるためにスマートフォンを閉じるのだけど、「you」と名指されて渡された物語の重さはそのあとも尾を引き続ける。ごめん、と思いながら、自分の心が潰れないように、いま自分が生きるために、自分がいる場所に戻る。この時の後ろめたさが「曲線は未来へ伸びて、ねえ、アレクサ、何人の犠牲で済むか計算できる?」を読んだ時の感覚に近いと思った。
* 「現代詩手帖」2024年5月特集「パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く」に松下新土+増渕愛による全文邦訳が掲載されている。
