花山周子


熊本吉雄/川沿いの桜並木に居りまして、蕾の色づく楽しみでした。

熊本吉雄『あら汁――心災小景』(2012年)


 

・川沿いの桜並木に居りまして、蕾の色づく楽しみでした。

 (二月十八日)

今日の一首も、口語で詠われている。(前回
「蕾の色づく楽しみでした。」の、言葉足らずさが印象的だ。この集の頃の作者の表現からすれば、敢えてやっているということではないと思う。けれども、この言葉足らずの表現が、不思議に心に響く。時制もなんだかふしぎだ。「居りまして~楽しみでした。」という繋がりはあまり見ない。この歌が詠まれているのは、震災の翌年、2012年の二月である。その二月に、震災直前の二月の頃の気持ちを思い出して詠んでいるのだろうか。

「川沿いの桜並木におりまして」は、今もずっとここにいるような感じがする。本来ならば今もいたはずの場所、今年もめぐってきたはずの感情。「蕾の色づく楽しみでした。」には、楽しみにしていた気持ちが、切断されてしまった、「楽しみ」という感情がそのまま宙づりに過去形になってしまった、その感情が欠落したまま抜け殻の言葉だけが残されているような気がする。
この歌は、とてもすごい歌だと思う。

 

熊本さんの作品を読みながら、人が歌をつくることの意味、歌とはなんなのか、そして、彼が短時間であれほどの歌の上達を果たしたこと、いろんなことを考えさせられるのである。また、長くなってしまうので、この辺でやめようと思うけれど、いずれゆっくり考えたいと思う。最後に印象的だった歌をあげておく。

 

・予定稿どおりのメディアを追い出して月命日は香の中に居る  (九月十一日)
・あら汁に合う味噌のあるこの町の魚(うを)を啜りて雪となる夕 (一月二十二日)
・水鉢の氷(すが)の底に居動かざるメダカ一匹標本のごと (二月六日)
・余震すでに日々小景に溶けてゆき浜菊添へて香炉を均す(二月十日)
・頤(おとがい)を上げて空見るその奥の彼方ゝに生を見つめる (三月九日)
・フレエムの下がり易きに鏡見る老眼鏡の顔は細りぬ (三月二十四日)
・不夜城に酔い痴れし街無人の町送電線は差別も送る (三月二十六日)
・抱きかかえ秋に移しぬいくつかの鉢に春来て虻も呼ばれし (五月一日)
・半生を〇.三で映しきてせめて最期はくっきり見たき世  (五月十八日)
・草を抜く何も考えたくなき午後ただ草を抜く 風汗を拭う (五月十九日)
・暮れてなお雲の流れの一日を見ているだけの明日は水無月 (五月三十日)
・遠くより復興進むと聞こゆたび進めぬわれが責められ残る (五月三十一日)
・急坂の奥まるところ母の実家(さと)産まれし畳に大の字になる