黒木三千代/このごろは鳩がたつとき大いなる紙幣の束をばらす音する

黒木三千代『クウェート』(本阿弥書店・1994年)


 

あとがきには、第一歌集以降四年半の作品を入れたと書かれてあるので、1989年~1994年の作品ということになる。1989年は平成元年であるから、ちょうど平成の最初期の歌が収録されている。また、バブル景気が1986~1991年とされているから、バブルの真っただ中でもある。

 

戦後長く平和の象徴であった鳩が、「大いなる紙幣の束をばらす音する」と詠われるているのには、今日の目から見てもショッキングに映る。そして、私にはこの鳩がバブルそのもののように見える。もちろん、作者も十分にそのつもりであったろう。「このごろは」などとおもむろに切り出してみせているのである。公園の鳩、というものの肥えたフォルムを思う。当時はまだ鴉にやられることも少なかったと記憶するから、鳩は十分に肥えていたし、白かった。山鳩などは、かわいい目をしているけれど、白い鳩というのは、目のふちがピンクいろで、冷たい軽薄な目をしている。脚もピンクで、見ようによってはかなり気色悪い。そういう肥えた白い鳩が、ばたばたばたと人の足元から羽ばたく。「大いなる」は「音」にかかるのであろうけれど、間に挟まれた「紙幣の束」の視覚的な迫力にも寄与するものであろう。今では紙幣の束なんてそうそうお目にかかれるものではないけれど、あの当時は紙幣の束をズボンにつっこんで出かけただとか、紙幣の束を店の床にばらまいたとか、紙幣の束がステージに舞ったとか、そういう逸話をよく聞く。まるで手品の鳩のように金がばらまかれ、ばらまかれる金は、あの肥えた鳩の羽ばたきそのものである。平成の象徴として記憶されるべき鳩の姿であると思う。