木下利玄/子供の頃皿に黄を溶き藍をまぜしかのみどり色にもゆる芽のあり

木下利玄第一歌集『銀』(1914年)


日々のクオリアを書くようになってからというもの、無性においしいケーキが食べたくなって、娘を連れてはじめて自由が丘の駅に降り立ったのである。目指しているケーキ屋を探すのに、線路沿いを長く歩いたりしているうちに日が暮れた。ようやく見つけたケーキ屋は閉まっていた。私と娘は何度もその店の前を通り過ぎていた。ああ、この店だよと、しばらくの間、店内の暗闇を娘と眺めた。それから仕方なく駅に引き返していると、路地の店頭に、たくさんの近代歌集・詩集・句集が二百円から四百円の値で出されている。私はケーキのために持ってきたお金を全部使って買い占めたのである。そのなかに木下利玄の第一歌集『銀』もあった。大正3年(1914年)に刊行された歌集で、私が買ったのは近代文学館の名著復刻全集として昭和44年(1969年)に復刻されたものだ。有島生馬と、白樺派の友人、三浦直介の手による、小型で天金、銀色の函に入れられたとても瀟洒なつくりの本である。

 

・子供の頃皿に黄を溶き藍をまぜしかのみどり色にもゆる芽のあり

 

ちょうど今の季節の歌である。
新芽の色を見て、子供の頃に溶いてつくった絵具の色彩を思い出すのである。緑は、三原色のうちの黄と青で作り出すことができるけれど、それを、「皿に黄を溶き藍をまぜし」と、まるでそのときに戻るようにして、子供の目に映る色、小さな手がその色を溶いてゆく筆遣いが詠われる。色彩が目の前で鮮やかに生み出されたときのときめきがそのまま、「かのみどり色に」という詠嘆に繋がる。

 

かのみどり色にもゆる芽のあり

 

なんて清新な歌だろう。

 

この歌が置かれるのは「肌身」という一連で、冒頭からの流れは、こんなふうになっている。

 

・西洋の繪紙にて幼馴染(をさななじみ)みなる空いろばなのみちばたに咲く

※「幼馴染」の送りの「み」はママ。

・太陽はあたゝかにあたゝかに母らしき愛を送れり空色(そらいろ)の花に
・我が顔を雨後(うご)の地面に近づけてほしいまゝにはこべを愛す
・子供の頃皿に黄を溶き藍をまぜしかのみどり色にもゆる芽のあり

 

一、二首目の「空色の花」に、私は最初、イヌフグリを思い浮かべたけれど、「西洋の繪紙」で馴染んでいたようであるから、勿忘草などかもしれない。それにしても本の挿絵で親しんでいた花のことを「幼馴染みなる」と詠う心のやわらかさ。二首目の、太陽の陽射しが小さな花のためにそそがれているような感覚。涙の流れるような繊細な色彩感覚が貫かれている。そして、ほとんど腹這いにならんばかりに雨上がりの湿った地面に顔を近づけて、はこべの花を見つめているのである。小さなはこべの花に対して「ほしいまゝに」なんて言っているのだ。

 

そんなふうにして今日の一首が置かれている。
眼前の美しい色に、遠い記憶であった子供の胸のときめきが呼び覚まされるのである。