藤原龍一郎『夢みる頃を過ぎても』(邑書林・1989年)
※『夢みる頃を過ぎても』は砂子屋書房の現代短歌文庫27『藤原龍一郎歌集』に全篇収録されている。
1986(昭和61)年4月8日、当時のトップアイドルのひとりで「ポスト松田聖子」とも言われていた岡田有希子が、東京・四谷の所属事務所が入居しているビルの屋上から飛び降り自殺した。享年18。影響は大きく、相次ぐ若者の自殺は「ユッコ・シンドローム」とも呼ばれた。
「あの春」から33年、存命としてもまだ51歳である。「ついにかえらぬ」には、すでに岡田有希子の過ごした生涯の年数を歿後の年数が倍近く超えてしまった感慨が率直に表れている。
「散華」は、本来は仏教で仏を供養するために華を撒くことを指す。もともとは蓮の花弁を使っていたが、やがて蓮の花を象った色紙が代用されるようになった。4月8日は東京や大阪、名古屋などではソメイヨシノの花の終わり頃でもあり、また釈迦の誕生を祝う仏教行事である灌仏会(かんぶつえ)、通称花祭りの日でもある。そのイメージをも援用した上での「散華」だが、もちろん若くして亡くなった命への婉曲表現であり、オマージュであることも見逃してはならない。
おそらくたぶんきっとその頃この椅子に岡田有希子も座っただろう
極彩のネオンに濡れているだろうたとえば岡田有希子の霊も
『夢みる頃を過ぎても』に収められている、岡田有希子を詠んだ歌を引いた。1首目は「1242」と題する、仕事を題材にした一連7首の2首目。「1242」は藤原が当時勤めていたAMラジオ局のニッポン放送である。「3ロビ」の詞書が付されており、第3ロビーを指すのだろう。打ち合わせか何かで生前、ロビーの特定の「この椅子」に座っただろう岡田有希子に想いを馳せる。「おそらく」「たぶん」「きっと」と、上句で重ねられる3つの副詞が抒情を醸し出し、読者に強い印象を残す。この歌にも岡田有希子を悼み偲ぶ気持ちが現れている。
2首目は「岡田有希子の霊」と「極彩のネオン」の取り合わせにまず驚くが、妙な説得力がある。「ネオンに濡れている」という表現自体は歌謡曲的な常套句とも言えば言えるが、「極彩のネオン」と「岡田有希子の霊」の間に「濡れている」が入ることで絶妙に釣りあい、既視感を減殺している。
今までに取り上げた歌に限らず、挽歌の多くは作者と面識のある人物を悼んだり偲んだりして詠まれるものだ。岡田有希子を詠んだ3首を見る限り、直接の面識があったかは断言できない。もし面識がなかったとすれば一般に言う挽歌とは少し位相が異なるが、悼み偲ぶ気持ちにおいては紛れもなく挽歌であり、その意味で何ら引けをとるものではない。
あたらめて掲出歌を(つぶやくような)声に出して読んでみると、故人に呼びかけるような声調も切々と読者の胸に迫ってくる。岡田有希子に対するすぐれた挽歌であり、同時に昭和末期の過ぎ去った時代を悼み偲ぶ歌としても稀代の絶唱である。