曽川文昭『スイッチバック』(現代短歌社・2019年)
つい最近出たばかりの歌集『スイッチバック』の巻頭歌。著者の曽川文昭(そがわ・ふみあき)は著者略歴によると50歳代前半。6年前の2013年から独学で短歌を作り始めたとのことである。
掲出歌を読む際に留意したいのは、初句の「夕空を」だ。「夕空へ」や「夕空に」であれば飛行機の離陸だが、「を」なので着陸となる。夕方、一機の旅客機が着陸の態勢に入ろうとしている。それを見ながら、飛行機が空を飛ぶという工学に基づく現象が、作者のさまざまな感慨や思念つまり文学的な現象を呼んだという読みになる。離陸ではなく、着陸がこのような思考を呼び起こさせたところに通り一遍でない詩性を感じさせる。また、下句の言い回しが独特で独自の抒情を醸し出している。一首全体に比較的硬めの言葉が使われているわりには理屈を感じさせない。
掲出歌の入っている「新型機」一連13首はなかなか凝った構成で、掲出歌である1首目の次は
執拗にも九回におよぶ空襲に武蔵野工場壊滅せりき
という歌で、一気に回想の歌となる。3首目4首目も戦時下の飛行機開発や制作に関する歌で、これらの歌から戦時中の中島飛行機の武蔵製作所を題材にしていることがわかる。
会議室に掲げられたる絵のなかに重爆撃機「富嶽」は飛べり
「富嶽」は第二次世界大戦中に日本軍が計画した、アメリカ本土爆撃を目的とした大型爆撃機である。結局、資材不足や技術的な観点あるいは本土防空戦のための戦闘機開発優先などの理由から終戦前年に開発は中止され、幻の爆撃機となった。下句の「絵のなかに」「飛べり」という表現はこの事実を踏まえており、一転して5首目のこの歌では、今現在の会議室に場面が移ったことがわかる。
新型機の開発なれば休日の日射しまぶしき職場に来たり
設計のさなかにあれば夢ならず会議資料に飛行機は飛ぶ
6首目以降は最終首まで現在を描く。引いたのは7首目と8首目だが、このあたりで作者が航空機産業、それもおそらく中島飛行機の系譜につらなる会社で新型機の開発や制作に従事していることがわかってくる。ここで一連全体の構成がはっきり見えてくるし、また1首目と2首目の間の飛躍も合点がいく。8首目の「会議資料に飛行機は飛ぶ」は、5首目の「絵のなかに重爆撃機「富嶽」は飛べり」と呼応しており、ロマンをかき立てられている作者像も浮かんでくる。
新型機着工したりいよいよに国文卒のわれ何をせむ
11首目の歌。「部品加工始まる」の詞書が付される。この職場で文系出身者の比率がどのくらいかはわからないし、作者の職種もはっきりとはわからないが、職場において主流ではないだろうことは想像できる。「いよいよに」に戸惑いと矜恃が見え隠れする。
一連13首を読み終えてから再度掲出歌を読むと、一連のなかでは冒頭の歌は毛色が異なることにあらためて気が付かされる。別に悪いと言いたいのではない。一連のなかでは異色であるがゆえに眼を惹くし、連作の冒頭に置かれている効果も大きい。あえて別の見方をすると、2首目以降は1首目を支えるための状況説明の歌とも思えてくる。なぜそう思えるかというと、掲出歌には文系出身者から見た飛行機への愛情と矜恃が滲んでいるからに他ならない。それゆえに、この一首が自分には印象深く刻みつけられた。