木下利玄第一歌集『銀』(1914年)
今日の一首は、前回の虻の歌の次に置かれる歌であるから、病に臥しながら思い出しているのかもしれない。歌の下には、「(日光の旅を憶ふ四首)」とある。
・遲くつきし湯元の宿のくらき灯にわれ等の食べし黑き羊羹
・くらき灯にわれ等居群れて冷えし手を火鉢によせし湯元の宿屋
・やゝ胸の惡き氣もちに仰向く(あふむ)きし湖上の舟も今はなつかし
・馬返し蔦屋の橡に暮れてよりやすみし時のひもじき氣持
詳細な具体性は、まるで昨日のことのようだが、詠い方は、懐かしい思い出の風情がある。「われ等」、「居群れて」からは、学生友達との時間が思われ、二首目のように、火鉢に寄っていたり、今、現在(八つ手の花の咲く時期から推測すれば)と同じ寒い季節でもあったのだろう。日光だもの、かなり寒かったのではないかと思うけど、そこは若い男子学生たちのことだからなんとかなるのかもしれない。それにしても、日光の湯元の冬に暖房といえるものが火鉢しかなさそうな、この辛い環境は旅としてはどうなのだろう。全体を見ても非常にわびしそうな旅である。元気が見えるのはこの、「われ等居群れて」だけである。
三首目は湯の湖か、たぶん中禅寺湖だと思う。「胸の惡き」は船酔いだろうと思うけど、この寒いわびしい旅も体調に影響していそうだ。気持ち悪くて、空しか見ていられない。ああいうときの、とにかく気持ち悪さを抑え込もうとする自分の呼吸への意識と、気持ち悪さから逃れようとして外界に据える視線の、なんとか耐え忍ぶ時間がやけに鮮明に思い出されている。その目に映っていた空も、「今はなつかし」という、それさえもが、という心情がうかがえる。といっても、今は今で、具合が悪くて床に伏している。それだから思い出しているともいえて、前回からの一連を読んでいると、なんとなく私小説的な趣があって、おもしろい。
・遲くつきし湯元の宿のくらき灯にわれ等の食べし黑き羊羹
そして今日の一首。この歌の「黑き羊羹」は印象的だ。わびしい宿の暗い灯の下に置かれたモノの異様な物質感。硫黄の香りの濃くする町の宿に遅く着いて、他に食べ物もなくて、これを食べた気持ち。暗い灯の下に出された黒く艶めく羊羹をそれぞれの手が一個ずつ取って、腹の空いた男子学生はその甘い黒い塊を一口で平らげただろう。それともちびちびと齧ったのか。ともかくも大した時間を要さずあとかたもなくそれは消えたのである。
「われ等の食べし黑き羊羹」から立ちのぼっているものを、ひとまずはこれこそが抒情だと言っておこう。